TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

2012年を振り返って(観劇記録)

アルターとエリザとスリルミーが全部2012年だなんて信じられないけれど来年はきっとこのようなことはないと信じている(観劇数は去年の約2倍でした…)。
皆様よいお年をお迎えください。


〇2012年観劇演目まとめ

1月 2月(25)
・ボニー&クライド(青山劇場)/ミュージカル/2
ボニーとクライドが互いの信仰しているものというよりもその信仰の仕方に強く惹かれる関係ならばいいと思った。「顔は殴らないで!女優になるんだから!」叩き返すシーンがすごく好きで、きっと二人は同士なんだろう。
互いに思いあっているのがひしひしつたわるバックとブランチ夫婦がかわゆくてとても好きだった。
今考えれば観劇はじめ演目に岡田さんが出ていらしたのだという事実を勝手に符合ととらえてしまう。
・ラ・カージュ・オ・フォール(日生劇場)/ミュージカル/1
楽曲がどれも大好きで気分を高揚させるために通勤時にCDを良く聴く。私は私にがあったからこそEPIPHANYもあるのだろうと知りつつ、個人的には同じように励まされる曲であり続けるのだろうと思う。今この時をしっかり生きて幸せだと感じてあいしてゆく、と恥ずかしいほどまっすぐ口にすることをためらわなくてもよいときもあること。

・CHESS in concert(青山劇場)/ミュージカル(コンサート)/1
うらいくんの低音にしびれ安蘭さんと石井さんのハーモニーもすばらしくM!のCDですごく好きになってしまった生は初めての中川さんはもう言わずもがなの吸引力、耳が幸せってこういうことをいうんだなと感じたコンサート。
チェスの盤の上に跳び乗るというただそれだけの動作があまりに軽々としていたからまるで重力にしばられていないものがふわっと浮いて空気を漂ったかのようだったチェスの妖精の大野さんは死のダンサーポジションのよう。

・ALTAR BOYZ(新宿FACE森ノ宮ピロティホール、新宿BLAZE)/ミュージカル/20(赤12、橙2、緑2、追加4)
「愛すべきALTAR BOYZは18人いる」新宿FACE教会に通えて幸せでした。
大げさでなく人生を変えた作品のひとつだと信じている。たくさんのありがとうを彼らに!

ハムレット(シアタークリエ)/ミュージカル/1
貴方が王になるのが楽しみです、と口にした彼はいつそれが叶わぬことを悟ってしまったんだろう 。「おやすみなさい、殿下」の毛布みたいにあたたかな声音。
薄暗いどころか真っ黒な歌詞が明るいテンポのいいメロディにのってる曲にひかれてしまうので、悪趣味だとは思いつつWho's crazy?が頭の中でいちばんぐるぐるする歌。

3月(3)
スリル・ミー(アトリエフォンティーヌ)/ミュージカル/2
2012年のすりるみ第1弾にしてinフォンティーヌ観劇ラスト。あのぐぐっと空気と一緒に押し込められたような感覚になる空間でにろまりを最後に見られた幸運。
「彼」は弟は殺したいほど憎いし、父親にはねじ曲がった愛情を向け、求めていたし、その他大勢は見下していたし、周囲に一応目を向け彼らになんらかの感情を抱いていたけど「私」は「彼」にそういった通常たくさんの人間に向けるべき感情すべてを注いでいたのかしらとも思う。
この時点では、まりおさんの「私」のありようにすっかり心奪われてしまって、他の方がどういうふうに「私」を演じているのか、演じるのか、もう皆目検討もつかないから早く7月公演を観たい気もするしもう彼ら以外は誰もみたくない気もする、という極論にいたりかけていた。

・ジキル&ハイド(日生劇場)/ミュージカル/1
どん底で椅子に腰掛けてじっとルーシーを、君はなんでここにいるんだい?というように不思議そうに、どこか哀れみを込めて見つめるヘンリーの黒目がちな瞳が子犬の様に濡れていたので、あんな目で見られたらたまらないと思った。
エマもジョンも「私が(ぼくが)いなきゃだめなんだから!彼の一番の理解者は私よ(僕だ!)」って思っててあの三人かわいいなと思うとともに、そこからはどうやったってはみだしているルーシーのせつなさいとおしさ。目の前にさっきまでいた人を「あんなひとが"いたなら"」って彼女は歌うのだろう。あの場所にいるルーシーを「女」でなく「人間」として「友達」として、たとえ彼女が望むほどの気持ちはこもっていなかったとしても、きちんと扱ってくれた人は他にいなかったんだろう。「あの人は、私に優しかった。ただそれだけ」
「一緒に解決しよう。今までもそうしてきたじゃないか」アターソンとヘンリーのブロマンスさかげんに、さすが原産国原作の作品は違うわ…と思ったけれど、役者さん総入れ替えの今回だからこそそう感じたのもあると思う。

4月(4)
ニジンスキー(銀河劇場)/ダンスアクト/1
時々東山さんの言葉なのかニジンスキーの言葉なのかわからなくなるくらいかぶせてきているのかな?と思う箇所があった。演技として中の人が出てきている、という意味ではなく。
うらいくんのWB(映像で拝見)はさらにくどい程の台詞の量でそこがすごく好みだったのだけれど、本作はかなり踊りに委ねられていてそこの読解ができないとだめなのかもしれない。 でも主軸となる人物がそれぞれ言葉に生きた人と踊りに生きた人だから、同じダンスアクトだとしてもそうなるの自然の理なのだと。
須賀敦子ユルスナールの靴に出てくる「コンポニドーレ(イタリアの地方の方言で調停者の意、らしい。祭事である役割を担う人?)」というひとについての言葉、「いまや、彼は、人と神のあいだに位置する存在になりました。もはや、男でもなく女でもありません。とくべつな愛で神々に愛されるコンポニドーレなのです」がこの作品を観て思うニジンスキーのイメージ。

コーヒープリンス/ミュージカル/2
ひとりのひとに自分でも手におえないほどとちくるって格好つけられないほどみっともなくおろおろしたり駆けずり回ってるハンギョルさぶろうの体当たり感がとてもすてきだったので、プリンス然とした彼も好きだけれどいっくんのコメディももっと見たいなとTDVに引き続きより感じた作品。みつきちゃんのウンチャンと並んだ姿がとてもかわいい。

カルテット!東京グローブ座)/ストレートプレイ(?)/1
家庭内不和でばらばらになりかけた家族がそれぞれの楽器を手に取りカルテットを組むことで絆を再構築してゆくお話。それまで音色というか歌がばらばらだったのに、負の感情ではあれど、コンサートを早く終わらせたい!という思いが4人とも重なったところだけきれいに声が重なるところ等、演出が面白いなと思った。家族4人の分身として演奏家の方がピアノチェロフルートバイオリンとお一人ずついるのが効果的。 お芝居上はお父さんとお母さんふたりで譜面を覗き込んでるけど絵面は「役者のお父さんと分身のピアニストのお父さん」「役者のお母さんと分身のチェロ奏者のお母さん」で4人な場面も。

5月 6月(14)
・負傷者16人(新国立劇場小劇場)/ストレートプレイ/1
この作品を観なければ全く違う2012年になっただろう、と思う作品のひとつ。
がちがちに制度に、自分のルーツに縛られているひとと、そこから逃れようとして逃れられていないひとが出会って「制度に規定されない関係」「名付けられないつながり」を苦しみながら模索しようとして、でもできなかった、しかし希望は一筋でも残ったのか、という話だと思っている。ひもじくてパンを盗みに入った店でおいしそうなチョコレートケーキを思わずつかんだその時に頭の後ろに銃口突きつけられて、でも目の前のこれが一口かじれるなら死んだっていいと思うようなひとの気持ちに絶対に理解は及ばなくともしんしんと思いを馳せるということ。「理解できないが、受け容れる」ということを考え続けてゆくこと。
よしおさんがご出演される作品をもっと拝見したいな、という契機になった作品。

サロメ新国立劇場小劇場)/ストレートプレイ/2
「見ることは、見られること」
「見る」ということについて、視覚効果的にも、お話としても、思い知らされた作品。

・リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(本多劇場)/ミュージカル/1
個人的にすごく「怖い」作品だった。オードリーは皆に妬まれないくらいの慎ましやかな、でも必要なものはきちんと揃ってるおうちで、子ども2人とやさしい夫と幸せに暮らさなきゃいけない子だと思うのに、私は幸せになっちゃいけないような生まれの子で、って何度も何度も口にする彼女の痛ましさ。怖い、は花に食われるというシチュエーションが視覚的に怖いのと、オードリーとシーモアがどう考えてももっと望みを抱いてもいいのに必死にこの環境で生きるしかない人間なんだ僕は私はえへへ、と無理やり笑っているのと、そんな二人に対する周囲の仕打ちの容赦なさがどうしようもなくて怖いのと、色々。勝手にかわいそがってなんなの、二人とも与えられた環境で精一杯生きてるのよ、とはなかなか言い切れない状況。
しかしにーろさんのオリンの出落ち感を他に出せる俳優さんがいるとは思えない。

・マグダライブ!(SHIBUYA-AX)/LIVE/1
初めて生で観たアナスタシアさまのおうつくしさに感激。

エリザベート(帝国劇場)/ミュージカル/9
1週間に1度岡田フランツを観なければどうしようもない病に陥っていた。


7月(15)…31日しかないのがひどく憎らしかった7月
・サンセット大通り(赤坂ACTシアター)/ミュージカル/1
「いつもわたしが真に欲するものはわたしには与えられない」@厩戸皇子、ではないけれど、なにか手に入れられないものを求めてやまない、どうしようもなく狂おしい人に惹かれてしまうのだとノーマを観ていてさとる。

ミス・サイゴンめぐろパーシモンホール)/ミュージカル/1
扱うテーマがとてもデリケートな、この作品ができるにいたった根本的な部分や描き手の目線を考えると安易に全部に頷けないし疑問を呈したくなるけど、そこに生きる人たちの張りつめ具合、生々しい切迫感焦燥感にやられる。ヘリのシーンの渡航書類を片手に必死で手を振る人々の姿が苦しくて、実際はどうだったのかはわからないけれど、あそこに生きる人たち、キムもエンジニアもドリームランドの娼婦らもみなにとって「アメリカ」という響きがもうむくむくふくらんだ見果てぬ夢そのものだったのだろうなと。
「はるかな国などどこにもないよ」

・スリル・ミー(銀河劇場)/ミュージカル/10(にろまり4、らちこに5、かきまつ1)
2012年3大通い詰め演目のうちのひとつ。
3ペアとも三者三様で単純に優劣つけて比較がするのがそもそもに馬鹿馬鹿しいくらいすてきで、しかし2012年7月の私のスリルミーはらちこにだったという事実。もう決まりきった結末へがたがたと傾ぎながら転がり落ちてゆく二人ではなく、どこかで道をたがえなければそうでない結末もあっただろうと切なくなる二人、という解釈ができるペアに3回目の公演にして出会えたのは、今がその時だったからではないかなとすら。3月に出会える彼らがどんな彼らかはまったく未知数だけれど、次の公演を楽しみに待つ気持ちはほんとう。
・ルドルフ・ザ・ラストキス(帝国劇場)/ミュージカル/3
7月が足りなくなった要因のひとつ。星のまたたきにつかのま触れられたように思える作品。
美しき戦争でラリッシュ様…!とリボンで絡め取られて恍惚とした瞳で見上げたくなったり、明日への道で殿下…と民衆の一員になりたくなったり、マリーにかたい意思を宿した瞳のまま抱き寄せられたくなったり、妃殿下の肩を抱き寄せたくなったり、もうただただ傍観者として息を詰めて観ていたくなったり。
「人の意識が時代を変える 信じる力が強さに変わる」
殿下が、革命娘マリーちゃんが志した世界はいま。

8月 9月(14)
エリザベート中日劇場梅田芸術劇場)/ミュージカル/6
小説でも舞台でも完全なる神々の視点から、俯瞰して見つめていたいといくら思っても、物語を読み解く上でそこに登場する人物の誰かにどうしても寄り添ってしまう(その人物と同化する意味での感情移入、ではなくそばにすっと気持ちが寄ってしまう、くらいのニュアンスでいたい)、彼ないし彼女の幸せを遠くから祈るような気持ちになるようなことはあるのだなと。それってどういうことなのだろうと、頻繁に舞台観劇をするようになってからよく考えることのひとつで、そんなに勘のいい人間ではないので、一度で自分にとってのその対象を見極めることはむつかしく(ゆえに複数観劇が大体の場合大前提になってしまうのだけれど)このエリザベートに関してはそれが岡田さんのフランツだったなと。彼がフランツならばシシィは春野さん、そしてルドルフはゆうたくんの、3人のハプスブルク家が「私のハプスブルク家」。
死という概念に魅入られたシシィを描くというよりも、「黄泉の帝王」という一個の人格を持った存在が、人間であるシシィと出会って恋に落ちる、という演出を日本版がされているのだとしたら、私は、前述の通り、トート閣下とシシィのふたりではなく、シシィとハプスブルク家の皆様に観点を置いて観ていたなと。スタンダードでない以前にもしかしたら演出された方の本意でなかったとしても、岡田さんが演じられたフランツが大好きで、春野シシィ、瀬奈シシィそれぞれのエリザベートを愛し続けた彼を見ることができた5月からの4か月が本当に幸せだったことは事実。
再登壇を切実に願って!

マクベス(ラフォーレ)/ストプレ/1
古典戯曲だと特に、台詞にまわされずに台詞をまわすのってなんてむつかしいのだろう、ということを考えてしまった作品。
松村さんのマクダフがユパさまみたいな頼もしさでとても惹かれた。お顔の造作だけではなく、マルカムが跪いて今までの非礼を詫びるときに背を向けて舞台縁に佇んでるお姿から、新たな王に傅かずにひとり馬を走らせて領土に帰る様子が浮かぶような一匹狼の雰囲気含め渋くてすごく恰好いいなと。

・CLUB SEVEN 8th!(シアタークリエ)/SHOW/1
たらこでジャミラみたいにかぶった赤いTシャツからもしゃもしゃの前髪ひとりだけはみでてる吉野さんのかわいさプライスレス。白燕尾服で、ロウマさんの歌で踊る曲で、目深にかぶったシルクハットの下から見える口元の笑みとはみでたもしゃもしゃの茶髪にも、ああこの方も汗ではない何かを客席に振りまくひとだなあと思った。キラキラの粉ありがとうございます。

コーパス・クリスティ(青山円形劇場)/ストプレ/4
「時々ジュダスのことを思い出してかなしくなります。彼もきっと悲しいんだと思います」
「ジュダスが長生きしたらあの夜のことは忘れてしまったかもしれない」
君を不幸にできるのは宇宙でただ一人だけ、な二人だったと思う。ジュダス・イスカリオテコーパスクリスティのジョシュア。
準備はいい?というジョシュアの言葉が劇中劇の段取りとしての声かけにも、彼こそがやはり裏切るようし向けその両手を開いて内に招いたのだとも思える。ジョシュアが踏み鳴らす音に合わせてジュダスが扉を叩くのかはまたま逆なのか 「僕のほんとうの救い主!」の抱擁はなんなの。
台詞一つ一つとりあげたいくらいウィットにとんだ、戯曲がほしくてたまらない作品。これを再演するためにも円形劇場はなくなってはならない!

・緋色の研究(銀河劇場)/朗読劇/2(岡田&松下、青柳&遠藤)
突きつけられたセット衣装の様式美と、この方こんな引き出しもあったの!と俳優さんのそれぞれの新たな一面に驚いた作品。一度きりなんて贅沢にもほどがある。

10月(3/ついこの間まとめて触れた作品については一部割愛)
ジェーン・エア日生劇場)/ミュージカル/2
「心揺らす声に目覚め旅に出ると決めた!」
自由の地へは今も心のテーマソング。
・ウィズ(国際フォーラムC)/ミュージカル/1


11月(6/ついこの間まとめて触れた作品以下略)
・銀河英雄伝@TAKARAZUKA(東京宝塚劇場)/ミュージカル/1

・RENT(シアタークリエ)/ミュージカル/2

・るつぼ(新国立劇場小劇場)/ストプレ/1
「気をつけなければいけませんーー信仰により血が流されるときには、信仰に執着すべきではない」「いいですか、神の掟の前では、人間など豚も同然なんです!人間には神の意志がわからないんです!」「自分の信じるようにして。誰にも裁かせちゃだめ。この世には、プロクター以上に崇高な裁判官はいないのよ!」「この世界にこういう人間らしさがあるなんて、知らなかったの!」
大好きな台詞。

・マリア・マグダレーナ来日公演『マグダラなマリア』〜ワインとタンゴと男と女とワイン〜(サンシャイン劇場)/ミュージカル/1
岡ミーナさまの衝撃。6月のライブでアナスタシアさまと共演されるお姿が見たい。

・KAZUAKI LIVE(シャミオール)/LIVE/1
いしいさんの歌がもっとききたい、舞台がもっと観たい。

12月(9)
・ACTORS VOICE(SHIBUYA-AX)/LIVE/1
ミュージカル楽曲ではなく個人個人のお好きな曲メインだったので、耳になじみのある曲はあまりなかったのだけれど、こにたんの歌声が好きだなと再認識。
かなさんの話のときにしらーっとこにたんと藤岡さんが体育座りして並んでいて、でっかいおにぎりとちっさいおにぎりみたいででこぼこぐあいがかわいかった。

・地獄のオルフェウス東京芸術劇場シアターウエスト)/ストプレ/1
死神のノックの音が腹の底にずっと響いている気がする。ヴァルの足のない掌におさまるような小さな透明な羽を持った小鳥の話をしてるところが好きで、女たらしというか人たらしだなあという仕草や語り口が説得力を感じるという意味で役にとても似合っていると思った。ヴァルのレイディへの向き合い方が一見そんなふうに見えなさそうで、でもやっぱり彼の根底部分で持ってるものが真面目というか真摯というかピュアというか、そういうものを感じるのはどこ由来だろう。あまりにも不条理で気が狂いそうな光景を受け止める覚悟は一度きりの観劇ではまだ持てなかった。

・プロミセス・プロミセス(新国立劇場中劇場)/ミュージカル/4
クリスマスプレゼントを見繕えなかったかわりに100ドル札をむきだしで差し出すどうしようもない人事部長を好演される方のお姿をひたすら見つつ、観終わった後、メインのふたり、チャックとフランの幸せをよかったねえ、と素直に思えるようなこの時期にぴったりの作品。
(別にまとめたい)

組曲虐殺(銀河劇場)/ストプレ/1
「にんげんのいとしさを みているのみてないの」「絶望するにはいい人が多すぎる」「後に続くものを信じて走れ」
しみいるようなやさしさに触れられてあたたかい気持ちになる、けれどやさしさのあいだからそっとこちらになにかを手渡してくるような作品。
お互いのことを臆面なく褒め合うくらい大好きだったくせに手を触れ合っただけでどきまぎして引いてしまうよな多喜二兄さんと瀧ちゃんがかわゆくて、そんなふたりをいつまでも見ていたかったなと。
カタカタ回る胸の映写機にふとした瞬間に浮かび上がってくるような、目の前に映し出されるような光景をたくさん見て記憶にとどめたい。

・ONE-HEART MUSICAL FESTIVAL/コンサート(?)/2
29マチソワ観劇。以下箇条書き。基本はあんなに眼がキラキラしてる47歳男児見たことがないぞおい、に集約される。
【ブラッドブラザーズ】ニットのアーガイルセーターにシャツにスラックスの安定の薄っぺらさ。エディが歌っていた「もしもぼくがあいつならきみをシェイクスピアソネットでたたえよう きみのうつくしさを新聞記事にしよう」って曲がかわいらしくもせつなくて特別印象に残っている。ぴこんぴこんリズムを取りながらけんめいにマイベストフレンド♪と歌うのももちろん、あいつのあんなところがかっこいい、すてきだ、ぼくは(おれは)神さまにいたずらされてこんなだから、おれは(ぼくは)あいつならよかった、という箇所にも何とも胸がいっぱいになってしまう。武田さんのミッキーを眉ハの字で口ぱかってあけた笑顔で見つめて最後両腕でぎゅって抱きしめる時のすっぽり感。本公演を想像せずにはいられない、正反対だけれどきっとしっくりきていたのだろう素敵なお二人。
We Will Rock You】カズさんおかださんマテなんて好きなものしか載ってない特別製プレート以外のなにものでもない。メインボーカルではないながらカモン!と後方の壇上で拳を突き上げて叫ぶ楽しげなお姿がとてもかわいい。やさしげなお顔立ちに反して(?)元はああいうROCKテイストが好きなお方だということをもう存じているせいもありつつのしっくりにこにこ感。
【サラへ〜恋をしているのなら】まるで持ち歌のようにお似合いになるだろうとセトリを知ってわくわくしていたけれど、やはり、そんなに情感をこめなくても…とほんとうにサラ(架空)にこの血さえも差し出そうな献身的岡田アルフだった。あの細っこい身体をあまりに振り絞って愛を叫ぶので「この血〜さえも〜〜〜〜!」でバラバラになったらどうしようかと真剣にハラハラ。
マテヘルちゃんと岡田アルフのぐんずほずれつゴロンゴロンはこの目でしっかと見たにも関わらずいまだに現実のものとして受け止められていない。「時には1度のキスが100万もの言葉に〜」からのお風呂アイドルサラちゃんと見せかけたヘルちゃん登場シーン。センシュウラクダカラ、サイゴダカラミテテ!と謎の踊りを岡田アルフに見ることを強要したマテヘルちゃんの言葉の意図が単に勘違いなのか岡田アルフラストだったからなのかわからないけど完全に、まてはふしぎなおどりをおどった!のは確かだった(どうやら後者だったよう)。マテヘルちゃんの一挙一動があやうすぎてぷるぷるふるえる岡田アルフ。スポットライト!クダサイ!と叫んで照らされたのち階段からしゃなりしゃなりと降りゆくマテヘルちゃん。セリフ、ワスレマシタ…という台詞ののちすったもんだあったあと、チチウエモキミノコトーと思い出したように続けるので、その設定つづいてたんだ?!くらいの驚きを毎回抱えていたであろう岡田アルフ。「タンスイカブツダイエットシマシタ!ヤセタデショ?」に「楽屋で弁当食べてたじゃないか!」と笑いすぎて声音がふるえている岡田アルフ(というかご本人)。扱いに完全に困りきって笑いすぎて涙でた、みたいに目じり指でぬぐっていらした岡田アルフ(ソワレ)。がしっとおしりつかんで持ち上げられたのちに、もつれ合って床へ倒れ伏しての上へ下へ入れ替わってぐんずほぐれつゴロゴロ後、足をつかんではなさないマテヘルちゃんのせいで岡田アルフがありえない体勢になってて酸欠を心配した。
やはり書き連ねていてもこれが現実のものとは思えない(2度目)