TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

音のいない世界で 1/5ソワレ

観劇はじめはこちらの演目でした。
皆さまにとってもすてきな作品に出会える1年でありますよう。

観たいなと思ったきっかけは2013年は新国立劇場の演目をもっと気にしたいと思っていたのと、ジェーン・エアで気になる方になった松たか子さん、バレエに造詣の深い友人がよく名前をあげている首藤さんが出ていらしたのと、お話の内容として児童文学よりの世界に興味がある身として心ひかれるものだったのと、等々。
よくよく経歴を拝見してみれば気になっていた演目の演出家さんであったり、近藤さんは星の王子さまの振付をやっていらした方だ!と気づいたり。
知識不足にもほどがあるので、もっと知ろうとする心をもって、いつでも気持ちは前のめりでいくことを今年の趣味面においての目標にします。

開演前にかわいい洋服を求めて銀座をさまよって体力をすり減らした挙句見つからないというかなしい結果だったけど、松さん演じるセイが着ている太い甘よりニットのたっぷりケープとスカート部分にドレープきいたくたっとしたワンピース、ぼろぼろの靴下の絶妙な色合いがとてもかわいくて、あれがほしい、と真剣に思いました。
セイだけでなく登場人物の衣装すべて、「音のいない世界で」のフォントからもう絵本の中から抜け出たようにかわいい。おそらくリピートすることで、かわいい!だけではなく随所で気づきがある舞台なのだろうなと。板の上の盆がぐるりと動いて、前方と後方を分ける仕切りの向こう側から次になにが出てくるかわからない、内容的にも舞台装置的にも仕掛け絵本のような作品。

松さん演じるセイと首藤さん演じるだんなさん夫婦がストーブも暖炉もない凍えそうな部屋で、蓄音機の音に耳を傾けているところから物語は転がり出していきます。セイが眠りこけてしまった後、だんなさんが外出しているつかの間を狙って金目のものも殆どないようなこの部屋にやってきた二人組の兄弟の泥棒は、何の目的か、蓄音機を盗んで逃走。蓄音機を盗まれたことで、なぜだかなにを失ったかも忘れてしまったセイは泥棒が代わりにおいていったびっくり鞄(びっくり箱のカバン版)を携えて旅に出、家に戻ってきただんなさんも自分が買ってきたセイへのプレゼントの内容どころか、自分がここでなにをしていた、どんな暮らしをいとなんでいたか(奥さんがいたのかすら!)忘れてしまった様子で同じく旅へ。そして彼らは行く先々で様々な人に出会います。出会うひとたちは、なにかをうしなって困り果てたり、なにかをうしなったせいで困った状態になっているのにそれにすら気づいていないひとたち。立ち止り、彼ら彼女らと一緒に考え込んで、解決の糸口のようなものを見つけながら、セイとだんなさんはそれぞれ旅を続けていきます。

出会う人たちはタイトル通りどうやら「音」(人間の声ではなく鳥のぴいぴい鳴く音や楽器の音色らしい)を失ってしまうことで、それを発するものがどういう用途をするのかも一緒に忘れてしまった様子。羊飼いは羊をあつめるための笛、指揮者は指揮棒、弦と管の国の住人は彼らそれぞれの楽器。鳥や虫は生きることに絶望して穴を掘ってもらってそこに飛び込もうとしたり、自ら池に列をなして身を投げようとしたりとさらに深刻な事態に。
なにかを失うことでそれにまつわる思い出すべてを失ってしまうという話は小川洋子の『密やかな結晶』に通じるところがあるなと思い出していたけれど、あれはひとたび失われたと決まったとたん、それにまつわるものすべてを手放さなければならない話でした。『音のいない世界で』はかたちあるものは誰に咎められるでもなくそこに残っているのに、ただ記憶だけがすっぽり抜け落ちてしまって、残されたものをあるひとは邪険に扱ったり、あるひとは用途を探求してみたり、あるひとはまったく見当違いのしろものだと勘違いしていたり。なぜ世界全体がそういうふうになってしまったのか結局お話のなかで明かされることはないのですが、蓄音機を穴を掘って埋めようとしていた兄弟が、蓄音機自体が憎いというよりも、その音色をきくことで思い出される思い出自体を抹殺したいという動機から犯行に及んだことからも、まつわる記憶だけが皆からすっぽりと抜け落ちてしまうことになる、という影響も理解できるような気がします。なんだかわからないけれどこれではないかもしれない、という思いだけで探しものをし続けるのも、これは大事なものだった気がするけれどなんだかわからない、と思い出が抜けおちたがらんどうの物体をただひたすら手元にとどめておくのもなんともいえないおかしみとせつなさがあるなあと。彼らがもしあれらが綺麗な音色を出す為のものだということに気づいて、実際正しい方法をとったとしたら、あれらの楽器は音色を奏でたのでしょうか、それともそんなことをただしく試すことが皆できなくなってしまったから「音がいない世界」なのだろうか。
実際、セイが行く先々でびっくり鞄を出会う人に見せながら、私はこれも好きなんだけどなんだかこれではなくてもっと違う、しっくりくるものだった気がするの、と投げかける場面も、彼女の問いには明確な答えが用意されていると見ている側は知りつつも、思わずもっと違う答えのないなにかを探し求めてさまようひとの姿をそこに見てしまうような印象深さがあるなあと思います。

他に個人的に印象深かったシーンは世の中に絶望した小鳥の為に穴を掘る男(演じ手・長塚さん)が出てくるところ。舞台上に色とりどりびっしり小鳥がちらばる絵面のかわいさと、その小鳥がみんなしにたがってるというどうしようもなさにぐっと押し黙ってしまうようなかなしさと不気味さを感じる場面。その前に涙を流していたその男とのセイの問答「涙なんかと関わり合いにならないほうがいい!」「それがあなたの涙だなんて誰が決めたの?」もハッとするような言葉遊びに満ちていて好きでした。
気がついたらわっと声をあげたくなってしまうほど地面一面にびっしり紙でできた小鳥が!という場面のアイディアは、野鳥の会にかつていたほど鳥が好きな近藤さんのものらしいです(トークショー談)。
そんな元・野鳥の会近藤さんが声を当てていらっしゃる、紙でできたはりぼての大きなふくろうが、夜の世界を統べるように、くりぬかれた眼孔からぴかーっとライトの目玉でこちらを照らしてくる場面も、少し不気味で、でもどことなくかわいくてめるひぇん、というあんばいが絶妙ですてきでした。月明かりとふくろうの目玉の光で照らされた夜道をひたすらに歩くセイとだんなさんの姿。
他に近藤さんが演じられた役だと、松さんの酔っ払いの羊飼いと一緒に出てきたメメ!という鳴き声ですべてを語る羊も、じっと見ているとかわいさと不気味さを両方じわじわ感じるような被り物、居住まい(靴下はひづめのごとく親指とそれ以外にきちんと分かれているものらしいという衣装のこだわりはトークショーにて)に目が離せなくなってくる感じがとても好きでした。

ジェーンエアに引き続き、今回音のいない森で松たか子さんを拝見して、やはり佇まいもさることながら、松さんのお声がすごく好きなんだと実感しました。特に、しんしんと深いところに届くような声で紡がれるラストシーンでの「ぽろぽろになっちゃうの?」のオノマトペの響きが大好きです。一番最後の蛍の光のメロディに長塚さんが歌詞をつけた歌でも、よくききなれたメロディがあのお声と歌詞によって聴こえてくる心地よさ。宮田慶子さんがトークショーで、長塚さんの書く台詞は言葉がとてもきれい。一旦カン!と当たって(頭を示しながら)とんと落ちてくる(胸?お腹のあたりをさしながら)よう、というようなことを仰っていたけれど、この歌詞も含め本当にそう感じました。

また、首藤さん演じるだんなさんのぼくとつさがにじみ出てくるような佇まいのすてきさにも惹かれました。がに股でとととと、と音がきこえてくるようなコミカルな歩き方、セイが眠りこけてしまった後、彼女を起こさないようそっと蓄音機の針を外す動作、ズボンのポケットを探ってありったけの小銭をかき集めてセイのためになにかプレゼント買おうとしてるのかな?という様子。一番最後のしぐさは特にとても微笑ましく、壁にかけてあったコートのポケットまで探って、ようやくお札が出てきたところでよかったねえ、とこちらまでにこにこ笑顔になってしまいました。顔を仕事帰りの煤で汚したまま、奥さんのためになけなしのお金で買ったプレゼント、赤いリボンをかけたレコードを抱えて蓄音機がなくなってることも知らずに家へと急ぐだんなさんのいじらしさたるや!帰り道途中ぶつかった怪しげな二人組にも首をかしげつつお気をつけて!と声をかけてしまうほどのおひとよしさかげんは見ていてじれったくなってしまうほどで、事の発端を作りだした泥棒兄弟らが憎らしくも思えるのですが、冒頭眠りこけたセイを部屋から出てゆく前に何度も振り返り見、しまいにはストールを肩にかけてやったり蓄音機の代わりに自らのびっくり鞄を置いていってしまう彼ら兄弟(特に弟)もあいきょうたっぷりで、単なる金目のもの目当てでこんなことをしでかしたのではないことがありありと分かる為、盗みは盗み!といかめしい顔で睨みつけるのもかわいそうな気がしてしまいます。ぽろぽろになっちゃうの?で肯定するクライマックスでは彼らのかわいさがピークに達してしまう。
そうやってひとくくりにしてしまうのはたいへん安易な気がひしひししつつも、しんからの悪党はひとりも出てこないほっとした気持ちになる、ぎゅっとスノーボールのなかに閉じ込めておきたいようなかわいい舞台でした。