TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

7/23、29 宝塚BOYS


「あなたの夢が、いつまでも消えませんように」


前回のDVDを東山さんファンの友人に借りて見たのをきっかけに、結局自分で購入して繰り返しリピートし、見るたびに、その時々の自分の心情、状況でいちばん好きな役が変わってくるほど、役者さん個人だけでなく役としてのキャラクター、作品自体が大好きになってしまった演目です。
生での観劇は今回が初めてだったので、馴染み深い良知くんやマサくんがいるにしても、初見の役者さんも多い中、いったいどういうふうになるのだろう、とどきどきしながらむかえた初日でしたが、二幕休憩はさんで三時間見ただけで、出てくるこたち全員を、知ってる人も知らない人もみんなかわいく愛おしく思える作品ってそうそうないなあと、改めてしみじみ感じました。DVDを台詞がしみ込むくらい見返して、筋もなにもかもまるわかりなのにもかかわらず、要所要所で大笑いしてうるうるして、あっというまの3時間。

もっとこれも!これもつけとき!!となるくらいぺらっぺらのシャンシャンと、12段しかない大階段、そこらへんからもいできたような羽をつけた飾りを背負った、手作り感満載のレビュー。だれからも顧みられないむなしさをしみるほどわかっている彼らが、4000人いる大劇場を夢想しながら踊るということ。大階段をまっすぐ前を見据えて降りてくる、きらっきらの笑顔のBOYSは、ほんとうに、胸が苦しくなるほど7人全員、かわいくてしかたなかったです。
スポットライトはけして浴びない、掃除のおばちゃんその2として廊下をはきながら、時々窓ガラス向こうのお稽古場を覗き見て笑みを漏らすようなポジション、あるいは客席の8人目のBOYSとして、彼らの懸命さが他人事でなく、胸が詰まる思いでした。
黒燕尾のどことなくのもっさり感、竹内や星野くんがどんなにきびきび踊っていても、男役のそれとは全然違うキメ具合に、一瞬望海さんやらんとむさんが二重写しになってぼやけて、でも違ってていいんだ、これは彼らの夢見た宝塚なんだ、と思う。12段の大階段を目にしながら、本物が道路を挟んだ目の前の劇場にあるのに、でも彼らにはこれがすべてで、そして彼らにとってはこの階段が大劇場の大階段に勝るともおとらないものなんだ、ときらきらの笑顔を見ているとすなおに思えるということ。
男女混合の宝塚をという確固たる目的意識があるもの、生活の術として、女の園に足を踏み入れたかった、芸の道に進むため等々はじめの一歩はばらばらでもひとつの大きな目標を据えて、それに向かって一丸となって努力してゆく姿のまぶしさ。簡単に口にしてはならないくらい、それでもあえていうなら、彼らの姿はなんてたっといんだろうと。
存じ上げない方が多いし、どうなるんだろうと思っていた配役に関しても、蓋を開けたらここしかない、というところにぴったりくるひとがきていて、それは彼らがもともと持ってる根っこの部分を生かした役に、演出家の鈴木裕美さんがきちんと当ててくださったからなのかなと、友人と話していました。

吉沢さんの上原について。
大将の果たせる役目は、大将としてそこにあることだけ、という雰囲気がただいとしい上原。浦井くんはできるひとだけれどできない演技をしていて、それがわざとらしくなく思えるところがすごいと友人と話していたけれど、今回の吉沢さんの場合は、天然でほんとうになにもできないのにうっかりリーダーの役目を与えられて、それを果たさなきゃいけない、でも全然できない、と本人が終始すまなさそうにしてるのが、手を差し伸べずにはいられぬなにかをひしひしかもしています。ただただ伝わる一生懸命さ。目の前にあるものにまっすぐ向かっていこうとする人だと思うし、だからこそ戦時中の徴兵にも、頭のどこかで疑問を覚えつつも、与えられた任務を果たすために、真面目にとりくもうとする姿が浮かぶ気がします。でもいままでこうだ、と言われて信じていたことが、あの玉音放送で全部崩れてしまって、そうして呆けていたところに、天上の声のように降り注いだ、女子部の生徒らの声で歌われる、すみれの花咲く頃は、彼の心をいったいどれだけ揺り動かすものだったのか。
そうしてひきがねをひいてしまったひと。でもそれは彼でなくてはできない、彼に与えられた役目だったのだと思う。
ジャンとマリーの場面での、公園の木をまねる、風呂敷で作ったてるてるぼうずのような姿がかわいい「そよぐよ〜!」(みんなが一発で理解してくれないのを不満げに思う口調で)

良知くんの竹内について。
一見温和で、基本物腰柔らかに見えるけれど、好きなものとほんとうに嫌なものは嫌とはっきり口に出せる強さがあって、こだわりをなあなあにできない融通のなさ、なによりまっすぐなところが、藤岡くんとはまた違う意味で竹内にはまっていました。二択あったら、どちらも結果を予想できていて、片方を選んだら損になるところまで見通せていても、自分の譲れない気持ちのほうを通してしまうひと。賢いけど馬鹿。空気が読めるようで読めない。そつなくこなせそうで生きづらい。若干の希望を込めて。
「美しいものは美しいんだ!」
下手を向いて正座をするときに、真横からちょうど目視できる位置で、思わずおでこから鼻にかけての輪郭と行儀良く伸びた背筋を見つめてしまいました。ぶれない軸がぴしりと背骨に入っていて、だから彼はいつも背筋をしゃっきり正しているのだろう。そういうふうに思えるような、竹内。宝塚を最初から知っている上原と、言葉が語ることができる以上のものを交感しあう場面の気持ちが痛いほど伝わって、拳を握り締めてしまう。
マリーは声と動きにわざとらしくしなをつくっていなければただの素化粧娘役で、カンカン帽が頭に張り付いてんのかと思うくらい似合っていた。ふつうにかわいいのがきもちわるい、か、も…?というぐあいだったので、葛山さんや藤岡くんみたいに、素でやって面白い感じにならないのが逆に大変そう。

マサの星野くんについて。
東山さんのときから大好きだった、星野くんおばちゃんとのシーンをマサもかわいくつくってきていて、客席でふるえました。お約束のようにいけすかないオーラをかもしているけれど、かわいさは隠せない誰の目にも。いけすかなさレベルは、うわっなんかこいついやみ…くらいかも。今のところ。台本のシーン、カーテンにくるまりつつみんなの方見てるところでは振りかけの尻尾が隠せていない。
結局いけすかないツンツンしたところも、上から目線でよくないことではあれど、彼のプロ意識、ステージの上で俺は踊るべき人間だ、踊りたい!という切なる気持ちの表れなのだと。
男子部を出ていくときにおばちゃんへの別れの挨拶をする星野くんの、くの字に折れ曲がるほど深々としたお辞儀の背中、「あっと驚くような大スターになってね、」と誓ったおばちゃんに握られた手を、しばらく握られたままのかたちで動かせずにいる星野くんの姿がとても印象深いです。一番最後、レビューのもげるほど気合の入った手の振りも、シャンシャンを抱きしめて崩れ落ちる姿も。
「お前らみんな、ここで、なにをしているんだ!」

みゆくんの長谷川について。
芸達者さ大衆演劇のおうちにうまれた説得力。のってくるとすぐ見得をきろうとするところ、大衆演劇ふうに話しだして、皆にはやしたてられたり、邪険にされる場面が笑顔になるかわいさです。太田川におしりばん!とたたかれたりわちゃわちゃしてるのが似合う。でも、マリーとの掛け合いのシーンの、おばちゃんの演技に徐々に心打たれて気合いが入っていく、気持ちの変化がとても伝わってくる様子が見えるあの場面も、とても好き。馬の足指導のコミカルさも!
「綺麗な夢が見たい」

上山さんの竹田について。
みきおが、前回の石井さんによく見ると似ていないのに、出てきた瞬間はっとするくらいに似て見えてびっくり。中身は全然異なるのだけど。石井みきおより上山さんのほうが自覚的なのが納得のモテ枠。やまこーさんと仲が良い場面がかわいくてかわいくて、幼馴染っていいなあと思ってしまう。
戦死通知の場面では、口にタオルを含ませてか当ててか泣き声をけんめいに殺していて、わんわん声をあげて泣かれるより、逆に見ていて堪えました。どうしても堪え切れない慟哭も。あすこから太田川の場面に繋がってゆくのがたたみかけるようで、「運がいいとか悪いとか」の流れがもうどうしようもないくらい胸に迫る。
「ただ懸命に生きていたのです」

小林さんのやまこーさんについて。
角刈りやまこーさんが2回観て今の段階でいちばん気になる存在。黄川田さんのやまこーさんも大好きだったけれど、今回のやまこーさんは見た目のいかつさと「やさしい男なんだよ」と言われる中身とのギャップが見ているうちにするんと腑に落ちるかわいさ。〜かね、〜だね、の語尾のあったかさもなんともいえずかわいくて、すきですきです。それに集約される様な、神様はなにを見ているのかね、のぽそっとした声。おうちのことをばらされて、お兄さんのことを話して、だからおれがしっかりしなきゃ、の泣き笑いの表情が焼きついて離れない。みきおに、まだあのこと会ってるのか、と笑いながらきいたのに、彼の真剣な表情にごめん、とすぐ謝ってしまう気の弱さやさしさは、変える必要なんてないから、ずっとずっと大事にしてほしいなあと思うやまこーさん。
「言葉を間違えるとこじれることがあるからね」「たまたまあのこはみきおのことが好きだっただけで」「間違えた…」
やまこーさんとみきおが、こうちゃんみきちゃんと呼びかけあっているのが、ああ、幼馴染なんだなあとしみじみするしっくりさ。馬の前足と後ろ足の場面の息の揃いようも、台本をもらってからの二人での練習風景のこなれ感も大好きですが、それがよけいに時間をもてあました彼らの、何十回、何百回の練習風景、創意工夫の過程をしのばせて、切ないやら何やら。

板倉さんの太田川さんについて。
やまこーさんの次に気になる天パー太田川さん。笑わせる台詞テンポの絶妙さと、泣かせる台詞テンポの絶妙さ。「疑心暗鬼が充満しとるよ」「大将は大変やな、信じる、言いながら、疑わなきゃならん」おばちゃん用に太田川が椅子を持ってくるときに、星野くんと目配せしててこの〜!みたいなほのぼのモードになること山のごとしです。
わたしが彼でもお稽古場にあの状況でこれたら大の字になって清潔な汗のにおいを吸うと思う。ひとりずつ肩を揺すぶってゆく場面のやりきれなさ。
「おばちゃん、今日はお説教は堪忍」

初風さんのおばちゃんと山路さんの池田さんについて。
初風さんのおばちゃんとBOYSの掛け合いも、池田さんとBOYSも、ほんとうに大!好き!です!
1期2期は総入れ替えではないけど、今回の彼らが4期で、山路さん初風さんはどっしりといらして、入れ替わるBOYSを見守ってくださって、という構図にすごくなつかしく親しみ深いものを感じる。
男女合同公演の台本を持ってきた池田さんが、散々じらしたあと入口脇の机上に置いて帰って、BOYSがわっととびついて目をきらきらさせながら囲んでるところを、廊下から窓ガラスごしに見ているところ。うれしそうな、慈愛深い笑みをそそいでいらした池田さんの表情は、思わず、せいいっぱい、池田さーーん!と声をかけたくなるようなものでした。
「おつまみつくりましょー!」のおばちゃん、くの字に折れるほど深く深くおじぎした星野くんの背を抱くおばちゃん、戦死通知が届いたみきおを気遣うおばちゃん。おばちゃんの存在がどれだけBOYSの励みになったか。

誰かが、君たちのことを、見てる!を、物凄い思い入れを込めて叫んでしまってから、そのことに気づいて口調を改める池田さんと、その時はまだ彼の思いいれの由来を知らないいぶかしげなBOYSの場面を、ああこういう空気だったんだ、とようやくわかった気がします。劇場で、生でみなければわからないことでした。あれは入団当時の池田さんが誰かにかけてもらった言葉か、あるいは誰にもかけてもらえずに、それでもずっとずっと心の中で唱えてたおのれを鼓舞する言葉で、いま目の前の宝塚男子部の彼らを励ますことは、池田さんにとって当時の自分を励ますことと同じなんだろうなと思う。
一度最後まで見れば、池田さんの一言一言がこんなにも他人事でなく、彼らに寄り添うどころか彼らと同じ立ち位置にいるひとの言葉だということがわかるし、だからこそ「誰かが君たちのことを見ている!」で、それは上原の「ありがたい…見ていてくれるひとがいる」に繋がっていく。
「いきてりゃ色々あるわよ」のおばちゃんも池田さんも、彼らを見守りながら夢を託している。でも、それでも、だからこそ「俺だって、まだ夢の途中だ」と池田さんがいうその言葉は、ささやかながら消えない、ひとつの希望のよう。

あなたの時間は今はあなたの夢のためにある。あなたの胸から溢れているのはあなたの情熱、あなたの希望、あなたの夢。いつまでも待つわ、あなたの夢が叶う、その日まで。
「あなたの夢がいつまでも消えませんように」という言葉自体がすでに、灯火のようだと思います。

「おーい……子どもたち…」を思い出すと、出て行こうとする彼にもみくちゃになってしがみついたBOYSにまぎれて、どさくさのうちに抱きつきたくなる。掴みかかって、結局崩れ落ちる竹内の頭をやさしく撫でるようにくしゃっと触れたのを見て、池田さんはずるいなあと改めて思いました。
レビュー前、ほら、お前たちもういいから、行ってこい!というように身体を、腕を振るって左右の袖へBOYSを送り出してから、後ろを向く、池田さんの背中に抱きつきたくなるのはBOYSの気持ちになっているから。

そしてそして、DVDで初めて観た当初と違って、宝塚を観劇して、好きになった身だからこそ、思うことがたくさんありました。
掃除のおばちゃんやサポーター的な立場で見てたいのと、8人目のBOYSになりたいような、なっているような感覚は、女子部の彼女らへの彼らの憧れをうっすら重ねて見てるからというのもある。逆に、彼らのことを応援したいけど、女だけの宝塚を守りたい、とみきおに伝えにきく生徒さんの台詞の意味ひとつとってみても、彼女ら側の気持ちがいまならよくわかるし、池田さんの最後の言葉も、太陽が西から昇ることはありえない、みたいなニュアンスなのかそれとも、なのか、宝塚ひいき側の視点を持つとなかなか難し く考えてしまいます。「ここは女の園、男には居心地が悪かった」は、私が穿ってるのではなく、言葉通りの、それだけの意味ではないなと思う。
宝塚を好きな身として、彼らの夢にぜんぜん寄り添えやしないのに、それでも彼らがあんなに狂おしく夢みたもの、として捉えると叶えられなかったことがくるしく思える観劇の束の間。薔薇が百年間うつくしく咲き続けるために切りとらざるをえなかったもの。

大劇場に立つひとは、当人がいままで直接接したことのあるひとだけではなく、彼女らの後に続くひと続けなかった人、先を歩いた人歩けなかった人、あの場所を夢見続けたひと、夢をまっとうして繋げたひと、たくさんのひとたちの思いを背負っているという事実が、今改めて胸に迫って、ずしんと堪えます。
実際にいま現役のジェンヌさんがご覧になったらどう感じられるだろう、とすごく気になるところです。

同時に、この作品の中で、宝塚はもちろん皆が知る宝塚としてあるけれど、「時代の夢の象徴としての宝塚」という意味合いもあるので、BOYSらのなかに最初から宝塚そのものを目指して入ったのではないこがいるように、宝塚を知らなくとも、じゅうぶんに心に響く、色んな層に訴えかけてくる作品だと思います。
宝塚に関わる人、OG、現役のジェンヌさん、宝塚を知らなくてもかつて何か夢を叶えた人、叶わなかった人、これから叶えようとしているひと、ばらばらに集まったひとたちがひとつのチームとなってなにかに取り組む姿を応援したいひと、たくさんの方がご覧になればいいのになあ。
この作品の一ファンとして、つよく思います。