TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

エリザベート 9/15マチソワ、16





この5カ月に悔いなし、と思う様な夢のような二日間でした。
アルターからはじまり、エリザ→スリルミー→エリザでようやく締まった感がある私の2012年ありがとうございました!!と年末のご挨拶にまわりたい気分です。既に。

舞台上の一瞬のきらめきは、最後の幕が降りても、それきりおしまいで何処かに消えてしまうのじゃなく、観た人の心の中にきちんと残っているのだと、他の誰かなんて不確かな存在でなく、誰より自分が認識しているのに、やっぱりいつだって役にしがみつきたくなってしまうのは、役者さんと役をきっちり隔てて考えたいタイプゆえんです。
岡田さんと『エリザベート』との、岡田さんとフランツとの、岡田フランツと春野シシィとの出会いにただただ感謝しかありません。
岡田さんのフランツと出会わなければ、エリザベートという作品をこんなにも追いかけることは恐らくありませんでした。。私個人の思い入れなど、と思いつつ、長くてとても短い5カ月でした。

さよならフランツだなんて信じない、と次のエリザベートでまた岡田さんのフランツにお目にかかれますよう、ただ強く願って。



いつも通りの岡田フランツ中心の感想です。
先でまとめのようなものも書けたら、と思いつつ以下は15、16日のことのみで。

【日替わりキャスト・敬称略】
15マチネ:瀬奈・マテ・岡田・平方・杜
15ソワレ:春野・山口・岡田・古川・杜
16:瀬奈・石丸・岡田・古川・杜

意図せずトートお三方フルコンプの三公演で、だからこそこの時点で、最後の駆け込みのようにいちばんしっくりくる組み合わせを見つけてしまった(のかもしれない)。



●15マチネ・トートより高みから人間界を見降ろせるようなお席

久々の瀬奈シシィ。銃を持って出てきた瞬間にくっきりとわかるはつらつさ利発さを備えた少女。瀬奈さんのシシィは確実に鳥を撃ち落とす勢いで狙っていて、だからばさばさと鳥が飛び立ったのを確認し、弾を外したのを本気で悔しがっているのが印象的。春野さんはやらない「馬術の競争!」のぱかっぱかっと走る馬をまねるあの動きもかわゆくて好きです。パパみたいにジプシーのように生きるのが造作もなさそうなシシィ。フランツに出会わなくば。
帝劇でも同じことを思ったなと思い返しながら、あなたが側にいればは瀬奈シシィの「私がつかめる」での岡田フランツの両手を握り返すまさにその手の動きを観ていました。あそこの力強さにときめいてしまうのはもしかしたらフランツ目線なのかもしれないと思う。あなたが必要よ、で口をぱかっと開けて白い歯を見せて笑う岡田フランツは久々で、9/1は確かこんなに笑顔ではなかったなあと思いつつもかわいさに見とれたり。
最後のダンス直後、早く二人だけになりたい、の瀬奈シシィが上手から下手扉へ歩く速度にまったくついてゆけなくて、シシィに手を引かれながらててててーと効果音をつけたいくらい小走りになっていた岡田フランツはパートナーとして頼りなくもたいへんにキュートで、もう!となったとしても愛想をつかさずこれからも手を引いてあげてほしい…と祈るような気持ちに。そういう「ささやかな幸せもつかめない」と口にしてしょんぼりしてしまうような放っておけなさを目の当たりにして、この人には私が必要なのかもしれない「私がつかめる」と思ってしまったところが瀬奈シシィの不幸の始まりだったとも。

妻への償いです、でゾフィーに今まで振り向いていた記憶がないけれど、あの流れはいつからなのでしょう。

ルドルフのパパとしての岡田フランツは、処分は追って沙汰する、のところを一息で鋭くではなくためるようになっていて、そのためか以前より威厳がこもっているよう。

悪夢では、早く亡霊のひとりに戻って個としての心をうしなえば後ろの人たちに混じって楽になれるかもしれないのに、あなたは最後の最後まで愛するシシィのために抗うんだね、フランツでい続けるんだね、と思いながら見ていました。


15マチネ・春野岡田古川楽に絶好の、肉眼を頼みにできる距離

瀬奈さんのシシィが前述のとおりなら、春野さんのシシィはほんとうにただ銃を持って空にむけて撃ってみたかっただけ、鳥がその音に驚いて飛び立つのをわあ綺麗だわかわいいわ、と思いながらぽやぽや見ている自分の世界で遊ぶのが好きな子。自由に生きたいジプシーのように、パパみたいになりたい、も彼女の想像のなかをはみだすことは決してなく、願っても実際そう生きるのは難しい子。綱渡りに落ちてしまうのもさもありなん。
瀬奈さんのシシィのパパみたいの、少女としてのかわいらしさもすごいなあと思うけれど、それとは全く違うところにある春野さんのシシィの永遠の少女性を感じるところってなんなのだろうとも思います。見た目だけからくるものではないのがとてもふしぎで、たぶんそこが岡田さんのフランツとしっくりきた所以なんだろうと。

1幕が終わった瞬間に、誰がなんといおうと「まずいほう」だろうと、この二人はこれ以上ない良縁です!!と叫びたくなるほどでした。春野シシィと岡田フランツの間に流れているあの空気ってなんなのだろう、と二人を引き合わせた何者かに感謝と同時にうらみごとをいいたくなるような、5月から今までのふたりが濃縮されたような回。あなたが側にいれば、ですでにうるうるしかけたのをこの先前が見えなくなったらもったいないにもほどがあると思い、懸命に堪えました。よければこの手を、とおずおず両手を春野シシィに差し出す岡田フランツ、キスしようと身を近づけたところで唐突さに硬直した春野シシィに気づいてとめたあと、一歩身を引いて照れ笑いをする岡田フランツ。彼の、なにかしようとしてためらったのち結局する、という流れのまったくもってスムーズでなさ、余分な動きと、それが岡田フランツというひとを現す上で一ミリも余分でないところ。
「険しい道だ」「あなたがいる」では、それではだめなんだよ、というかなしみより、なんだか意外な言葉が返ってきてびっくりしてしまった、というような顔をしていたように見えました。では僕が君と一緒にいることで何か変わるだろうか?というような。義務の多さに夢さえ消え、で距離を詰めて、ささやかな幸せもつかめない、でぎゅぎゅっと春野シシィの両手を両手で包むように握る岡田フランツの、その手に込めた力は瀬奈さん相手の時より恐らく強く、それは瀬奈さんと春野さん相手それぞれで対応を変えている、演技プランの違いだ、というよりもいい意味でその時その時の自然な心の動きに任せた岡田フランツとしての動きに見えます。私が掴める、では首を横に振る春野シシィ。
この回はあなたが必要よ、の後のキスシーンで互いの身を近づける際、春野シシィから先に岡田フランツの背中に腕がまわっていて驚きました。最初はフランツから差し出していた手が、あなたが必要よ、と見つめあって歌う最後にはシシィ側からフランツの背にまわるのだと思ったら、彼はあの瞬間どれだけ嬉しかったのだろうと胸がいっぱいになってしまうし、確実にあのつかの間だけでも彼は報われていたと思いたくなってしまいます。好きよあなたが必要よ、だけで生きていけないことを知っている岡田フランツと、まだもう少しそのことを知らないでいられる春野シシィの、ままごと遊びのような何より尊い誓いのキス。あの瞬間、すでに使い古され摩耗されたはずの愛を交わす言葉はふたりだけのものとして響いたし、しみいるように胸に落ちてきました。
一幕ラスト、三重唱では必死に駆け寄る岡田フランツの差し伸べた手に無邪気に応えてくれるシシィはもういませんが、そういった、後々起こってしまった何かによってむなしくなんの価値もなく、色あせたかのように感じてしまう過去も、彼らの間に存在したただ一点の揺るがない事実で 消せはしない、お星様みたいにきらきらしてたことを誰が忘れようか、と。

全て汝の意志である事に、間違いはないか?で春野シシィがはい!と声をあげた瞬間、にこっと笑みを浮かべる岡田フランツにこの回で初めて気づきました。彼が出てくる時にルキーニの手招くような手つきにふわっと身をそらすところから、後ろの参列者同様彼も操り人形と化す、意志を持った存在はトートとシシィだけしかいない場面なのだと思っていたので、自分の意志を持ってシシィの結婚の承諾に笑む、とは思わず、だからびっくりしたのだろうなと。なぜ笑ったのかを考えてぞっとすることも、彼の笑みこそが帝国の滅亡を教えようとする者への、大いなる意思への抗いとも捉えられる、だなんて。

しかし2幕に入ってからもバートイシュル効果が長引いて、エーヤンの馬車の上でふたりが手を取り合う姿を見ただけできゅんとした心につける薬は恐らくないです。
マチネのルドルフの霊廟で瀬奈シシィに抱きつく岡田フランツをマチネで見て、あっこの二人夫婦だ、とそれなりの歳月をともに過ごした(離れている期間が長かろうと)しっとり馴染んだ何かを感じたけれど、春野シシィと岡田フランツだと、いつまでもシシィは少女のようだから、彼女の前に立つ時だけフランツも青年の頃に戻るのではないかなと、だから歳を重ねてもいつまでも、どこか初々しい恋人のような二人なのかなと思いました。

そんな二人の間に生まれた古川ルドルフは、おはようございます皇帝陛下、から、9/1から比べてとても凛々しく「国を憂える若き青年実業家」部分が前にぐぐっと出てきたように感じました。岡田フランツもあいかわらずそんなにしなくてもいいじゃないかくらいに小さく新聞記事を丸めるのだけれど、ほぼ床に垂直に投げられたそれを拾い上げて負けじと古川ルドルフがのばすことのばすこと。諸民族は平等だ!(やはり3ルドのなかでゆうたくんだけ父と分かり合えるかもしれない予兆に微笑む)後にフランツ上手ルドルフ下手に分かれたあとも、まだ事のしわをのばしている古川ルドルフに、あの父にしてこの息子ありだと思いました。そうして、反対側の父に見えるよう、訴える様にのばした記事を片手に持って掲げる古川ルドルフの姿は初見。すまない、父を説得することができなかった、も今回は、と頭に言葉が省略されていそうなぐらい、自分の意思を伝え、理解してもらうことが実現可能であると確信を持っているルドルフ。独立運動のダンスのキレの良さ、自信に充ち溢れた様子がとても格好よく思え、以前感じていた革命軍を盛りたてる象徴、傀儡として扱われていることを憐れに思う気持ちよりも、あれ、もしかして革命は成功してしまうのでは、と思わせるぐらいの凛とした通った筋のようなものを感じました。仕草ひとつひとつがびしびし決まっていて、とても格好よく見えたこの日の古川ルドルフ。ママ鏡からそれは一転するのですが。マイヤーリンクで事切れるまでの壮絶さ。9/1から、古川ルドルフの楽日を見ずにここでマイエリザ楽をむかえてしまうのがひどく残念だなと思うようになりました。

対フランツ、ゾフィー相手の岡田フランツとしては、ふたり相手にあからさまに虚勢を張っている事が伝わるような、声を荒げる姿も好きでしたが、そんなフランツ相手になら逆に言い返す余地があったのに「実の息子に裏切られる日がこようとは…なにもいうな。処分は追って沙汰する」を口にする際一息ではなくためが入るようになり、あんなにも言い募る古川ルドルフにすら有無を言わさせぬようになったところ、ゾフィーに意見しようと部屋に入ってくるときのゆっくりとした歩み、だけど歌声は深いかなしみにくれているところが変化箇所として好きです。しかし妻への償いです、でゾフィーの方を向く岡田フランツも好きだけれど、「義務を忘れたものは滅びてしまうのですよ」で、思わず、というように寿ゾフィーの手に手を重ねた岡田フランツももう一度見てみたかったなとも思います。

いつか私の目で見てくれたなら、と互いを見ずに、でも並んで歌う二人が、何十年もの時を経て、一度私の目で見てくれたなら あなたの誤解も解けるだろう、と見つめ合って歌うこと。わかりあえなさをわかるということ。



16ソワレ・3回連続観劇にして席種フルコンプをはたす

岡田フランツ前楽にして、もう思い残すことはないくらい満足のゆくものが見られたので、楽日は穏やかな気持ちでいられるかしら、と思いましたがラストはやはりラスト、二度とない一回でした。
いつも同じところを注視しつついつも同じところに心揺り動かされてしまう「あなたが側にいれば」ですが、このラストの二人もまた前楽とは違った雰囲気のふたりで、とても素敵で。瀬奈シシィとのこの曲で大好きな箇所、私がつかめる、でシシィが岡田フランツの両手をぎゅっと包み込むように握るところですが、その後いったん手を放しても「いつか私の目で見てくれたなら」で身体は正面を向きつつも、感触を反芻するがごとく握ってもらえた両手をまじまじ見つめてほほ笑んでいた岡田フランツがとてもとてもしあわせそうで、本当に良かったね……!!とこちらが嬉し泣きをしそうに。瀬奈シシィとだったら彼女に木登り指南をしてもらって、ふたりでてっぺんから見下ろす景色を楽しめばいいと思う。

この回は岡田フランツ楽ながら、以前からしっくりくるふたりだと思っていた瀬奈さんと石丸さんの組み合わせだったからか、シシィとトートのやり取りに目がいくことが多かったです。
それでも予想していたよりフランツ置いてけぼり感が薄かったのは、やっぱり岡田フランツ楽、という空気がうまく作用したからかしらと思います。
岡田フランツが皇帝になるためには瀬奈シシィが必要なのかもしれないけど、瀬奈シシィがすこやかに生きてゆくためには岡田フランツは必要ない気も。それでも惹かれあってしまう二人ならば、きっと岡田フランツは自分にはないものを彼女に求め、瀬奈シシィはいつも憧れ傍にいるパパとは全く違った種類の人間、自分が持っているものを確実に持っていない彼がひどく新鮮に、放っておけない存在に思えたのかなと。

三重唱で駆け寄ったあと「でも私の人生は私のもの」ときっぱり口にされて、ただただ見上げていることしかできない岡田フランツの佇まい、彼の背中のさみしさにシシィの視線が投げかけられていたのなら。
悪夢ラストでべしゃっと中央に倒れ伏した後、ルキーニに指図され下手端に追いやられ、その暗闇のなかながらも、シシィが刺された瞬間に見て居られないというように身を縮こめる彼の姿がただせつないです。



ここにきてふと、陽と陰、強と弱で考えるなら、と少々乱暴な分類をしたところ以下のようになりました。

シシィ:春野さん(陰の弱)、瀬奈さん(陽の強)
フランツ:岡田さん(陰の弱)、禅さん(陽の強)
トート:ゆうさま(まんなか)、マテ(陽の弱)、石丸さん(陰の強)
ルドルフ:ゆうたくん(陰の弱)、大野くん(陽の強)、平方さん(まんなか)
ゾフィー:杜さん(陰の弱)、寿さん(陽の強)

強弱がよろしくないなら、剛柔にも置き換えられると思います。
この分け方を思いついてからおもしろいなと思ったのは、単純に同じ属性のひとたち同士を組み合わせればいいというわけでもないところです。
役者さん同士の属性の相互作用がもたらすものを客席で受け止めて、あくまで個人的にぴんときただけですが、もしかしてこのひとたちがいいのかしら…?と梅田にきて新たに考えた組み合わせは、春野・岡田・山口・古川・杜(敬称略)でした。柔らかい寄り、のイメージのひとたち。

なぜ帝劇凱旋がないのか(ループ)