TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

花組『愛と革命の詩―アンドレア・シェニエ―』

8/16、17(11時、15時)、9/8(15時)、9








4月末から急速に宝塚に転げ落ち、この度花組大劇場公演のために初ムラ遠征に行ってきました。
電車から初めて見降ろしたムラってプチ・トリアノンみたい…と心ときめかせつつも、中に入ったら一大テーマパーク仕様なことにとてもびっくりし、ここのイメージキャラクターさまはいったい……などと的外れなことを考えていましたが、初日から三公演続けてめいいっぱい本拠地での観劇を堪能しました。
宝塚BOYS観劇直後だったのもあり、あの、夢の大劇場にいる、という感慨深さ、また、念願の初花組のショー生観劇がかなった嬉しさも込みで、じわじわと記憶反芻しています。次の観劇まで待ちきれないと思いつつ、あんまりにいちどきに摂取してしまうとキャパオーバーになってしまうので、足りないくらいがちょうどいいのかもと。

と書いたまま放置してすでに2回目の遠征から帰還し、肩で息をついている最中です。
観劇直後に見たものを忘れないようにと思っているときって、手のひらに掬った水を捧げ持ってそろそろ歩くイメージなのですが、感銘のうけぐあいに比例して、まっすぐ歩けている気も掌を地面と水平に保てている気もしなくなる不思議。
5回分の記憶が積み重なって、見えてきたものもわからなくなったものも。





Musical:愛と革命の詩―アンドレア・シェニエ―

蘭寿さん念願の大恋愛物‼‼‼(エクスクラメーションマークの数があやふや)ということで、確かにふたりの恋愛が主軸ではあったのですが、彼らを取り巻くひとびと、時代背景が密接に絡んでゆく描かれ方で、ここぞという見せ場がある役が多い印象。動乱の時代を生き延びたパンジュ侯爵から語られる、かつての同志であったアンドレア・シェニエの物語という導入からはじまり、25年前の出来事、マッダレーナと出会ってから彼が時代のなかでどう生き、どう死んだかについて。彼のひとつ貫いたものとはなんだったのか。ジャコバン派であるみりおさん演じるジェラールとみーちゃん演じるモラン側からの視点、市井の人々の様子をあらわす場面も多々あり。

事前に舞台美術が、大好きな『星の王子さま』や『GOLD』の松井るみさんときいてとても楽しみにしていたのですが、期待通りとても好みなセットでした。片翼ずつ分かれる、大きな白い羽が舞台の中央に置かれ、そのまま貴族の夜会が行われる大広間になったり、裏返した骨組みが見えるかたちで市井の人々のシーンで使われたり。照明のあたりぐあいで裏側は黒い羽にも見えます。
5回目に2階から初めて見降ろしての観劇で、組まれた舞台装置だけでなく、床に落ちる照明効果のゆたかさにも初めて気づきました。東京でもまた席によって見え方が違うと思うので、色んな位置から確かめてみたいなと。

作品について、さらに。
ここ最近、というよりこの4月からレミ、ベルばら、二都物語、そして愛と革命の歌と、怒涛の革命もの続きで、それぞれ複数回観ている作品もあるので、一生分のトリコロールを拝んだ気がしています。
時間軸がぴったり合致するものだけでなく、特にレミはひとつはぐれた時代ですし、視点も、市井の人々から、王侯貴族から、そのどちらからもやや浮遊しているひとたち、とさまざま。
しかし、みんなあの時代にあの国に生まれると、妻子ある親しいひとを身をていして逃がしてじぶんは無実の罪で監獄にぶち込まれて、愛するひとのために入れ替わって断頭台の露と消えたりするんだ、というふうに二都(また感想は別に書きます。こちらももっと見たい作品でした)を見て抱いた感想が、いまでもとても濃く残っています。似た題材が、似通っているようで全く異なる描き方で描かれていたなと感じたので、並べて、重なる点を考えてしまったのもあるのですが。
エリザやルドルフも入れれば、国や時代が異なる「革命」を描いた作品を複数演目結構な回数見て、神は死んだと嘆くひとがそれぞれでたくさんでてきて、万人に通ずる普遍的な題材だからしかたないけれど、たとえやはり摩耗されているのだとしても、「摩耗されている」「おきまりだ」という印象をつよく植え付けないように扱うのって、ほんとうにむつかしいのだなと。
もしかしたらそれは、ある程度の作品数の観劇を重ねてきてしまった弊害で、だとしたらとてもかなしいのですが、愛と革命の詩はそういう意味で、革命もののポイントをきれいに押さえすぎて、とてもスタンダードだなあ綺麗だなあ、と少し引いた位置から観てしまう様な、描かれ方に思えました。「おきまり」が気持ちよく感じるところと、やっぱりこうくるのね、と思うところと、それぞれがまぜこぜになっているなと。

だからといってそのなかで生きているひとたちみんながみんな嘘くさく見えるというわけではなく。ル・サンク後ろの脚本をいま読み返していて、言葉だけ目で追うと、お芝居ということを差し引いても気恥ずかしくなる台詞がふんだんにちりばめられているなという印象なのですが、音できいたときは結構するっと飲みこめていたので、なまで目の前の人間が発する言葉として耳にして、初めてうけいれられる言葉ってあるのだな、もう何十回もいろんな舞台を観た際に感じたことについて、改めて思いを馳せました。
加えて歌詞がのせられているメロディの素敵さ!タカニュで海外作品のようなビッグナンバーが多いときいていたのですが、ドラマチックな旋律が、歌詞を変えて歌い継がれていったり、前にあった場面と呼応するように繰り返される曲が多く、一曲一曲使いきりでないところがこの作品の流れにあっているように感じます。冒頭の、日毎夜毎〜♪という歌いだしでジェラール、マッダレーナ、シェニエと歌い継ぐ歌、聖書には書いちゃいないが、とカフェにつどう裏街のひとびとの歌、個々のスポットライトがあたる登場人物らのテーマのような歌も、観劇後も順番に頭の中をめぐるくらい好きです。

印象深かった、個々の役について触れていきたいと思います。


○黒天使と白天使
人々の様子を見守って憐れんだり微笑んだり、時に重大な決断に繋がるちょっかいを出してゆく役どころ。黒天使くんのほうが悪の道に誘おうとすると、白天使くんがかなしんだり頬をふくらませて、逆に白天使くんがそのちょっかいを止めて、善なる(おそらく)方向に導こうとすると、黒天使くんがにらむ。なにかの象徴というには、あまりにキャラクターとして意志を持っている事がこちらに伝わる表情の豊かさで、観ていてあきないかわいさだけれど、最後に喋るのはご愛嬌、ですませていいのかよくないのか。
たぶん彼らを見ているだけでも舞台進行がわかるくらいの、この物語の導き手なので、読み解く鍵を握っている存在として、もっと注視したい二人組。
冒頭で黒天使れいくんと白天使るなくんが片腕ずつで互いを抱きしめて、相手の背にまわしてないほうの腕をもがき苦しむ鳥の必死の羽ばたきみたいに震わせてるところ、毎回注視してしまう大好きな振りです。片翼しかないふたりで一対の天使を現しているような振りだなと思いました。それぞれ真っ白じゃなく片腕だけ黒い、真っ黒じゃなく片腕だけ白い、のがいっそうそれを際立たせるなと。初日二日目からあけての2度目の遠征では、頬の部分にきらきらが足されていた。
右手に銃を、左手に赤い旗を!とジェラールに背を向けたまま右手を差し出す黒天使くんの構図のうつくしさにやられ、眉をつぶしたメイクのアイシャドウの際だちようにもやられていましたが、白天使くんのうっすらピンクの頬をふくらませたり、くちびるをほころばす花開くような笑みもとてもかわいい。
大道芸人のオルガン弾きネコ先生が出てきて、貴族らの争いを滑稽に語るところで、後ろでヴェニスの街角に飾られる様なマスクをつけて、札束をばら撒いている黒天使くんの構図もすごく様式美で好きです。
最後の最後にシェニエの詩を文学サロンのひとびとの手に戻す役どころを担う白天使くんだけ、ジャケットを着ているのがとても気になります。

アンドレアとマッダレーナについて
景子先生恥ずかしい台詞禁止!くらいに気恥ずかしいあれこれの台詞パートのほとんどを担っていた高潔すぎる詩人シェニエさん。そしてその言葉を冒頭から一身にうけるマッダレーナ。初日のマッダレーナへのシェニエの、あなたはまだ愛をご存じない、のところの「かわいい人」 は、らんじゅさんのらんじゅさんたるゆえんの吐息まじりなのもあいまって完全に落としにかかっていて最初からフルアクセルそうとう危険だなあと思ったのですが、回数を重ねるごとに言い方が初日より硬質に響いてきこえて、元々どんな台詞でも甘く聞こえがちな方だけど、この場面は硬めのほうが、後からシェニエがマッダレーナに惹かれる様が活きてきそうなので、後者の方がわたしはいいなと思いました。
最終的に80歳の老婆でなく、うつくしく匂い立つようなマッダレーナだからシェニエの恋心に最後の火は灯されたのだとは思うけれど、闇のなかからすくいあげてくれた言葉を生みだした詩人に、想いを綴った手紙を送って、その手紙によって相手がまだ顔も見ぬ送り主に心を揺り動かされてゆく、という流れは、ふたりの精神の結びつきを予感させるのに納得がゆく流れで、とても好きです。出会った二人が思いを確かめ合って、天蓋付きベッドのような舞台セットのなかで睦みあう場面も、周囲の恋人たちふくめ、一枚の絵のよう。
高潔すぎて、明日のご飯のこと、衣食住よりおのれの志をどう貫くかしか考えてないシェニエさんの様子に終始やきもきしっぱなしでみていたのですが、牢獄の場面、弟マリーとの最後の面会の場面では、そういうふうにしか生きられなかった人の不器用さがしん、と落ちてくるようでした。レグリエ嬢が歌う囚われの乙女の曲の妙もおそらくあいまって、そのあとの実感のこもった「後悔のない人生など……」という言葉が、5回の観劇段階で、シェニエさんの口にする中では一番好きな言葉です。
ただ、ラスト、シェニエさんとマッダレーナの牢屋でのやりとりは、ふたりの魂も肉体も引き裂けませんねお幸せに……!と声かける間もなく、全速力で二人三脚して光のなかに消える背中をただ見送っていた、という気持ちになるくらい、もうどんどん加速がついて止められないひとたちに見えて、やや置いてけぼり感がいなめないので、その置き去りになった心を回収するために、パンジュ侯爵の締めが必要なのかしらとも、今の段階では思います。「私の胸はいま、喜びにうちふるえています」「それが私の全てです」は言い方によって、受け止められ方がかなり変わってくる台詞だと思う。

○ジェラールについて
スカピンでいうショーブランの、恋愛パートを請け負ったひとのイメージ。
彼は確実にマッダレーナの容姿に一目惚れで、再開までの時間を考慮するに、ひとりでむくむく恋心育ててるパターン、シェニエさんは「かわいいひと、 貴女はまだ愛をご存知ない」で一度断った後、詩と手紙で顔が見えないながら交流を深めてからの密会、恋心バーンという魂が惹かれあったパターンで、これは…と前者で振られるのもやや仕方ない気がしてきました。みりおさんのせいというか、展開上、マッダレーナとの絡みがほぼ皆無なのに、ジェラールがシェニエとマッダレーナの関係をきいたとたん、思いだしたように烈しく恋心をメラメラさせてるような描かれ方なのが原因かと。
ただ、革命への関わり方については、シェニエさんもジェラールも、ルソーの信奉者で、秘めた思想の向き方は最初は同じ。ペンを持ったか銃を持ったかで、道をたがえてしまったひとたち、と最初は思いましたが、選んだものが違ったことが理由ではなく、その手に取ったあとの、使い方の違いだなと。黒天使くんの手から銃を受け取った直後のジェラールは、たぶんシェニエさんたちと殆ど変らないところにいたのだと思います。
突き刺さるような「求めたのは血の粛清ではない!」という彼の悲鳴が口からこぼれ出た時には時すでに遅し。あの後どうなってしまうんだろうなとぼんやりゆくえを考えてしまう人のなかのひとり。

○モランについて
スカピンでいうショーブランの、革命パートを請け負ったひとのイメージ。
ジャコバン党に属し、この話の中では徹頭徹尾ぶれることなく党を率いて、容赦ない粛清を続けるモランですが、そこにいたった理由がちらりと見えるような「真実が見えるのは飢えた者だけ」「笑えるのは勝った者だけ」という歌詞で、そう口にする彼の背景が気にかかります。
いちばんどきっとしたのは、机上に載せられた反ジャコバン雑誌の上にバーンと足を乗せて、そのまま踏みしだくように床に引き摺り下ろす動作。
モランもあの、シェニエさんの判決が出たあと、どうしているのだろう。

○パンジュ侯爵について
冒頭のお髭と白髪混じりウィッグから若かりし頃の金髪巻き毛ひとつに結わえたしっぽをベルベッドのリボンで留めた姿の似合いようもさることながら、佇まいやちょっとした仕草から包容力や甲斐性が溢れ出るおそろしさに、佐助から侯爵の間に本当に奥さんをめとられたのかと錯覚しました。こんなに歳を重ねた深みのある役どころも説得力をもって演じられる人だったの、ととても動揺しつつ、円満夫婦のパンジュ侯爵ご夫妻並びの幸せオーラはおすそ分けしてもらいたいくらいです。(出会った頃はそんな日がくるとは思わずにいたけど)貴女以外を妻にするつもりはない、ってフランソワに言われましたの、と口にするきらりさんアリーヌの後光さす多幸感溢れる笑みには、普段100%使用禁止宣言の「愛されている女の余裕」という表現をうっかり用いてはっとするほどの、福々しさを感じます。愛しあえる唯一無二の相手と出会えたひとの幸せオーラ、としておく。
アリーヌと一緒に登場する場面、シェニエさんとマッダレーナの初夜の場面での若かりしころの侯爵の、包み込むようなエスコート力に終始感嘆するしかないのですが、なによりいちばん好きなのはラストシーンでの妻と子に囲まれるパンジュ侯爵の構図です。奥さんの、寄り添う娘の肩を抱くようにして、彼女らのおでこにパンジュ侯爵が頬を寄せる仕草が、愛しいものにふれる思いやりにあふれていて、何回見てもおろおろします。「愛や慈しみ」で妻と子を交互に見つめる慈愛に満ちた目つきといったら、うっかりおとうさーーーん!と叫びたくなる始末です。
奥さん同伴での、お待たせ致しました、が本当に待ってたよ!という気持ちになるほどの出演場面のピンポイントぐあいですが、もしかすると冒頭と最後の出番は、愛と革命の詩という作品としては、蛇足ではないのかなとも思います。特に後半は、観ている側の気持ちをきれいにまとめへと導いてくださる侯爵さまの説明は、親切すぎやしないかしらと。
余韻を味わって、それぞれの心の中で考えるべきことを逐一解説している気がして、そこが宝塚としてのわかりやすさなのか、演出家先生特有の意図によるものなのか、まだ判断がつかないのですが。ただ、シェニエに命を救われた侯爵が彼の意志をきちんとただしく受け取って、次世代へ繋げていく語り手となる、という骨組みをとらえればしっくりくるので、説明台詞の分量に少し引っかかるのかなとも。
そういいつつも、やっぱりあの侯爵の最後の歌に説き伏されてしまうのですが。あたたかみのある、深くゆたかな、たくさんのものがこれから芽吹いてゆくことを感じさせるような歌声がとても好きです。

○マリー=ジョセフについて
じぶんは生きるために割り切って稼いでいるのに、武士は食わねど高楊枝なアンドレアお兄ちゃんが見ててしぬほどじれったいという芯にたくさんのしがらみがくっついての「貴方」と呼ぶしかない距離感な弟。すぐに長いものに巻かれる、おもねることを辞さない弟を糾弾するでもなく、おのれの志を貫くまま、シュッと立っているように見えるお兄ちゃんのその態度だけで、むしろ直接あれこれ言われるよりも、常にマリー=ジョセフという人間が責め立てられているような気持ちになったんだろうなと。対照的過ぎて、並んで立つのがマリーにとって苦痛となったのはいつごろからだろう。気苦労も多かったし、それはいまも続いていると思います。才能一本で生きられる、生きていこうとしている兄をうとみつつも羨ましく思って、でもそれは彼は兄の生前絶対に口には出せなかったこと。
牢獄での場面での「あなたは愚かな人だ」というマリーの言葉からは、なぜそういうふうにしか生きられないのか、と高潔すぎる兄をなじることしかできない、彼のやるせない想いが伝わってきます。最後の最後もお兄ちゃんの背に手をまわせなかったことを、マリーはことあるごとに思い出すのだと思う。
マリーくんのトロフィーガールのようながりんちゃんメルヴェルは「名声!金!女!」の女!で背後から抱きすくめられるときの、首をねじって仰ぎみての、先に行こうとするマリーに追いすがる時の、媚びた顔がそれぞれともに、とても好きですが、もっとマリーに絡む場面が見たかったなとも。

○ファビアンとベルシ
うだつのあがらない年下男をうっかり愛しちゃった姉さん女房カップル。初日二日目は白かったファビアンは、2度目の遠征時には黒ファビアンになっていました。
欠点100個くらい浮かべられるけど、それでも好きになっちまったら仕方がないんですよ、お嬢様が笑った!のファビアンの首にしがみついてぐるんぐるんだっこされるベルシの構図もさることながら、初日二日目は座ったまま寄り添って、ファビアンがベルシの首から肩にまわした手をきゅっと握ったまま喋る、くらいだったのが、2度目の遠征時には、ファビアンがのばしてぽんぽんたたいた膝からすねあたりにベルシの脚が横切るように乗って、身をぴったりくっつけ合いつつふたりして顔見合わせてえへへ、と笑うようになっていて、そのままクッションに倒れ込むところをお嬢様に見つかる、という流れのいちゃいちゃ増量ぶりににしろめをむきそうになりました。ファビアンの、こいつなんにもできないけどベルシへはめっっっちゃやさしいんだろうな…感も増し増しに。
ファビアンのうっかりはちべえがもとでパンジュ侯爵宅にシェニエとマッダレーナが匿われていたことがばれてしまう、というけっこうな役どころではあるけれど、ジェラールにすがりつくベルシや、その後ろで同じく必死に許しを請うファビアン、手を握り合って裁判の判決を待つふたりのいじらしい姿をみるとなんにも言えなくなってしまう。
末永く幸せに暮らしてほしい何組かのふたりのうちのひとつ。

○ルル@カフェ「Le Paradis」
たそちゃんと仙名さんのテナ夫妻が見たいと思うくらい、いつも注目して見てしまう。
教えてやろう〜♪のジャンの入り方もさることながら、次のルルの、長いものには巻かれろ〜♪も「力あるものには」の高音、知恵〜〜〜!とのばすところが大好きで、何度きいてもぞくぞくします。ジャンの、一番いい酒を!を受けてのルルの、片足あげてのなりふり構わない「あいよ!」が見ててきもちよくて、2回目の遠征でさらになりふりかまわなさが増していてびっくりしました。マリーとメルヴェルの顔色を伺って、媚び媚びしながらコップをそれぞれに大仰に丁寧に置く、長いものに巻かれるいかにも、なおかみさん像がしっくりきてるのが見ててきもちいい仙名さんのルル。口元のほくろも素敵です。


以下好きな場面・箇所箇条書き
・シェニエさんとマッダレーナの初夜場面で、天蓋ベッド下で踊る他カップルも共通しての、男役が娘役の腕を二の腕から手のひらまで撫でさすって指の先まで到達してから、娘役の手のひらが見えるようにそっとそらす、みたいな振り。

上記と似たような、ジェラールの手を持ち上げて恋人繋ぎのごとく指を絡めてから、さらに逆側の手のひらを上から重ねてた娼婦に扮して誘惑する黒天使くん。

・マッダレーナをいやらしくなでさするごろつき仲間よっちさんの手つきのなんとなくの慣れなさ。

ジャコバン派に撃ち落とされた鳩をまだ生きているから手当てしておやり、とユディットにやさしく渡す老ジェラールさおたさんの慈愛あらわしエピソードぶり。

・裁判の場面、死刑!のところで乱入したジェラールにより一時中断しつつも、判決は変わらない、ああそうだな、といっている声が聞こえるような身振り手振りで、舞台中央奥でやり取りしているデュマふみかさんの悪い顔と、フーキエよっちさんの役人ぶり。デュマが「死刑!」と冷酷に判決を言い渡した後に、ひとりにやりと口元を歪めるフーキエさん、という流れも。



ウインクの流れ星を拾い集めてそれだけ食べて生きたくなったショーについては別記事で。