TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

2013.3 ミュージカル『スリル・ミー』その2


観劇日:
3/22 14:00(良知小西楽)/3/23 15:30(柿澤松下楽)



エリザ岡田フランツ楽直後のような気持ちに襲われていて、半年にいっぺんこんな気持ちになる舞台にこれからも出会えるならしあわせだしたいへんだろうなと思います。
いっときしか存在しないうつくしいものを結晶化したい、でもかなわない、はしからほろほろくずれてゆくのを黙ってみている、弔い手になる、みたいなことをどんな対象にも繰り返してしまうたちだけれど、舞台に関してはそれをことさら強く感じています。


ミュージカル『スリル・ミー』は二人の物語の確信に触れている(ように観客に感じさせる)ポイントがどのペアにも複数ちりばめられていて、観客はだれしもその中の自分に心良い、見たい点を数点お好みで見繕って解釈を練り上げている。何点を見いだせるか、どの点をどれだけつなぎ合わせるかはひとにより、全部をつなぐと一本筋が通った理解、解釈がむつかしくなる。すべての点をひとつの解釈にのっとって説明することはできない。そうでなければこれほどの解釈の差異はでないのかなと思います。
みなそれぞれ、好きな点を結んで好きな星座を生み出している。

西彼は母のように妹のように姉のように娘のように愛して欲しかったんだと思うし、そういう彼の思いを良知私は両手を広げて受け止めた。今回観劇した上で見つけた点をつなげてできたのはそういう星座です。わがままだなあって思いつつ、彼のそのわがままな魂を私は愛したのだと思うし、そのわがままさはなんという社会規範から一ミリもぶれないありふれた、おろかな男性心理だろうとも思います。私が彼にとって、わりとわかりやすくゆたかでふくふくした存在であるペア、というのは現時点の日本版ではらちこにペア特有のものだなと。 ちゃんとカエルやカタツムリや子犬のしっぽでできてるからだにお砂糖スパイスの精神が入っている。
私がいてくれてほんとによかったな彼よ、というのはらちこにのふたりの関係性を突き詰めて考えての感想で、一作品のファンとしてはおふたりがペアを組んだ、という事実がほんとうに得難く素敵なことだったと、改めて噛みしめています。

また、あんな事件を起こすなんて計画したやつは狂気をはらんでるに決まってる!言い出したほうのさらに上を行くなんてもっと怖い人に決まってる!怖い!!というように事件の性質のみを切り取って、それにあてはめて彼らの言動の意味付けをしてゆくと、それぞれのペアごとの作品としての解釈を狭めてしまうんじゃないかなあと改めて思いました。もとの事件自体がおぞましいものなので初見ならばそこに眼を奪われてしまうのは仕方ないことですし、かといって、作り手やリピーターの意識として、何度も観なければこの作品はわからないよ、と門戸を狭めてしまうこともなんだか違うなあと思うので、また難しい話なのですが。


○柿澤松下ペア感想
彼の生命力に満ち満ちた身体に私が蔦みたいに隙間なくびっちり絡みついてるイメージ。松下くんの驚くほどに細長いきれいな指が柿澤くんの腕に肩にかかるときにそう感じたからかもしれない。
スナックラララで両ペアがゲストの回、柿澤良知、小西松下並びでナンバーを歌う姿がまったくしっくりこないのを見て、柿澤松下ペアは彼:私=陽:陰、小西良知ペアは彼:私=陰:陽だから陽陽、陰陰となってしまうからだ、彼と私の属性は同じものだとN極とN極、S極とS極みたいに反発してしまうんだと思ったのですが、だからこそ私と彼の陰陽属性が真逆のペアを続けてみるとこんなに印象が違うのだ、とらちこに→かきまつと見て、想像はしていましたがびっくりしました。
彼のクラス内カーストのトップクラスに存在するのが明白なあの、全身で俺はマジョリティだ!と訴えかけてくる感じが、同じ世界に属してない身としてはまぶしすぎる。時々目をぎゅっとつむりそうになるときはぽわぽわした眉のところに生えてる毛を見るようにしていましたという阿呆のような感想。持たざる者と持つ者がいると知っててああいう振る舞いをする人と知らないからこそそう振る舞える人がいて、性格のいい悪いでなく日なたの道を歩いているひとには後者でいてほしい、その方が手の届かなさが際立つと思っている派なので、彼はそういう疑似カーストのようなものが存在して、明確に自分が棲んでいるのと違うカテゴリに位置する人がいるってことすら私に会うまで知らないでいたと信じたい。光が強いほど影はくろぐろ濃くなるもの。
犯した罪の内容はどのペアだって同じだから同じくらい恐ろしいことのはずなのに、あなたみたいになんだって持っていそうな、あるいはこれから望めば持てそうな人がなぜそういうことをしてしまうの?という意味での残酷さをいちばん感じました。蜻蛉や蝶の羽を戯れにもいで、飽きた、って放り出すような残酷さ。
一番好きな彼は『スポーツカー』の「いいなまえだねえ」(やたらとおさない)で、一番好きな私は『僕と組んで』で彼に後ろから抱きしめられてその腕にきゅっと手を絡ませてるところです。

両者とも本心には変わらぬだろうに、かき彼の「お前がいなきゃ、だめなんだ」は何度も同じこと言わすなめんどくせえ、くらいのイライラ感があるけれど、こに彼はびっくりするくらい素直な声音でああほんとうにそう思ってるんだね、となって、両者の性格の違いが明確で比較すると面白い箇所でした。なんで?も、こに彼はその幼さにもしかしたら私の前でしか発さない声音なのかなと思うし、かき彼は言葉の前に「ハッ(鼻で笑う)」がつきそうな、なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ感がはんぱない声音。あれもまつ私にだけなのでしょうか?カルシウムが足りなさそうなかき彼に牛乳を。
にろ彼の時はつるつると彼の口から出る言葉の響きにぼーっとききいってしまって言いくるめられていたけど、かきこに彼は両方とも「これは論理的に進化した段階なんだ」と発した瞬間「ばかいわないでよ!」と私ふたりと一緒に反論したくなるくらい、その時点ですでに計画完遂という未来がまったく想像つかぬ頼りない響き。彼の頭を殴るかBボタン連打します。なんで彼らは超人なんて言い出してしまったんだろう。
しかしかきまつを観て改めて、らち私と密着するたびにジャケットの中にやたらと手を忍び込ませたがるこに彼はなんだったのだろうと思いました。安心毛布を探している手。ブランケットのタグのつるつるしてるところを触らないと落ちつかない子、みたいな。


○より抜き好きな・気になる場面(主にらちこに)
・らち私に手渡されたマッチ箱をこに彼がまじまじみつめるのはなんの気なしの行為でもあり、留守中のレイの動向を探る意味合いもあると思いました。自分の知らないお店のものの場合、多分すぐ問い詰めてくる。私は彼にそこを隠す筈ないだろうに。

・かき彼が一度目のキスの後、まつ私の額に自分のをこつんとくっつけるところ。

・『やさしい炎』で「この俺の気持ちを」なのに「俺たちの心を」に変わる彼の心情推移。

・『契約書』で右左えいえいっとジャケットを直すらち私。

・「ばかいわないでよ!」「ぶんしょ!?」(CV.らち私 特に前者の響きのぷんすか感。

・『超人たち』であんな犯行の後なのにもかかわらず、こに彼に後ろから抱きしめられ手を握られてうっとりして恐怖心をどこかにやってしまうらち私。感触が残ったまま塩酸の空の瓶を握りこまされて、しばらく余韻にわれここにあらずの表情を保ったまま、途中でハッと気づいて慌てて瓶を床に置く、という流れもすきです。

・らちこにを観ていたときもずっと思っていたけれど、楽日に2階からかきまつを観て、全体像が綺麗に見えたこともあり、ラストシーンで光のなかに消えてゆく彼を観て改めて、階段の真ん中より上にはゆけない私に”なにか”を感じました。私の動きに制約がありそう。