TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

『ALTAR BOYZ 2012』 REDについて

※3/4更新
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「まだここにいたい でも終わりの時」




跡部様〜おらお弁当作ってきただ!」並のなんちゃってマシューグルーピーになってマクたんにギャンギャンかみつかれたり(再々演のマクたんは大人しめなので再演イメージ)フアンちゃんにやさしいトーンでおとといきいやされたりルークにお前らこりねえなあされたり困惑したアブちゃんにやさしく追い払われたい今日この頃です。

書きとめなければぽろぽろと零れ落ちてしまう、とただただ恐れるように普段のこのブログの稼働状態では考えられないほどの頻度で感想をしたためていたのが嘘のように、気が抜けてしまった様にぼんやりとこの1ヶ月間を反芻しておりました。書きとめ終わったら全部終わってしまうような気がして。区切りなんて付けずにだらだらと彼らについて考えていたいなあと。この1カ月日常生活の中にあまりにもはっきり組み込まれていたせいで、彼らがいない日々を送るということがどういうことなのかよく理解できない。

伝えるべきはありがとうの気持ちだけであってさみしいという未練がましい言葉は口にするべきではないなんて誰に言われるでもなくわかっているけど、それでも私が観劇をしながらいつも感じていたのは、もう少しだけステージの上で仲間と楽しそうに歌い踊る彼を観ていたい、という気持ちで、とてもささやかな願いです。そしてそれはきっと私に限ったことではないんです。
あの大千秋楽後の鳴りやまない拍手がきっとその証明です。


今回、他の色は個々の役柄について所感を書いたのに、赤はアブちゃんについてしか言及していなかったので、今更ながらに各役や彼らに関連して思いついた感想等を。
前回の日記でああはいいましたが、やはり感想をしたためていてわかったのは、私は彼らを強固なフィルターを通して観ていたということでした。



●マシュー
彼の歌うCallingの「不思議に明るい音が耳を鳴らす」という歌詞がのせられたあのメロディが大好きです。前の創世記でどんなにおふざけが過ぎても「窓から外を見れば」の歌いだしだけですべてが帳消しになってしまうほど。もちろんその際のサングラスは両眼とも欠けなく、でお願いいたします。
1年半前、初めて彼のマシューを観て「華がある」ってこのひとのための言葉なんだ、と雷に打たれたように思いました。メイクや衣装のしっくり具合も込みなのでしょうが、彼が撒き散らす鱗分は、360度全方位のひとに影響します。一番のお目当てでなくとも、気がつくと惹きつけられていた、という声も多々。あれから他の舞台で他の役もいくつか拝見して、彼の素の姿も(もちろん対観客用ではあるのでしょうが)いくらか知り、良くも悪くも、特に回を重ねてなじむごとに、役を自分側に引き寄せて演じてしまうようになる俳優さんなのだなあと気づいたのですが、それでも私にとっての彼といえばやっぱりマシューで、どんなに中の人がはみ出していた今回でさえ、その気持ちは変わることはありませんでした。それこそ、良知くんはアブちゃんに「なった」けれど、東山さんはマシューとして「生まれた」と思い込んでいる節がある。どの役でも、その役を心底好きになった人に、そう思わせてしまう人。
あんまりにも偶像として祭り上げてしまうのは怖いけれど、個人的に、それがまかり通ってしまうという事実含め、彼がマシューたるゆえんだと考えていました。
1曲目の間奏部分「YEAHYEAHYEAH!!皆元気だった?」と一声放つだけで場の空気をさらってゆく吸引力たるや、だし「どうか私たちを希望の使いにしてください」と祈る姿、声の響き。彼が天から与えられた才は容姿とダンスだけでなく、その声にも宿っていると思う。それこそ「ものすごい力がある」。「だから皆も覚悟して、その身をこの歌にさらしてほしい」我らがリーダーとはこの人のこと。


●マーク
初演からの3人、再演からの1人の4人の、しかも一番上とは10以上も離れているなかにぽんと投入されていれば無理ないのだろうなとは思いましたが、そんななかでマークを演じる汰斗くんの緊張感が固さとして伝わってきて、でもそれも含めての彼のマークなのかなと。前回のマサマークに対する皆の対応を思い出せば、笑えてしまうぐらいたいとマークへの対応がやさしくて(ルークの「人を批判するな、批判すれば自分も批判されるって」の言い含めるような口調、身長差もあいまっての妹とお兄ちゃん感。それを思えばマシューの「そうだ!ルークの言うとおりだぞ!」の眉のつり上げ具合のおとなげなさが露呈しますが)お兄ちゃんズの裾を掴んで「私も混ぜて!」とひとり紛れ込んできた妹のような図がかわいかったです。
EPIPHANY前の告白の語り口調の生々しさといったら思わず胸が痛んで目をそむけたくなるほどで、でも彼のマークとしての幼さゆえに、その切実さが彼自身はまだ克服できていない、ついこの間起こった出来事についてのことだと捉えられ、間もない事だから打ち明けられる観客側への配慮がまだあまりできなかったのだろう、だからあんなにも聞く側の心を抉ったのだろうと思いました。震える片手をぎゅっと抑えつける様子が演技のそれとは思えないほどで。そして、それゆえに響く「見たこともないやつが突然現れて、あのいじめっこ連中を蹴散らしてくれたんだ!」の笑顔。たいとマークにとって、その時心の底から思った様に、そして今現在に続いてマシューは「ぼくのガーディアンエンジェル」なんだろうと信じさせる表情でした。対マシューのマークはかわいいし、対マークのマシューはかっこよくあろうとするからかっこいい。「マークお嬢さん」や、創世記の「鳴らしちゃダメ!」の後の「マーク、スマーイル!」の流れ。

赤橙公演で、たいとマークの告白後、EPIPHANYで後からくじらちゃんマークが出てきた流れに、赤橙マークの並びになにかすごく感じいってしまって、なんでだろうと考えていたのですが、あれって多分、たいとマークの告白→くじらちゃんマーク合流、だったから良かったんじゃないかしらと。まだ痛みを克服していないように思える者に、もう乗り越えつつある者が寄り添う構図。同じ痛みを持つもの同士が出会って「あなたも同じ痛みを抱えてきたのね、でもだいじょうぶよね。私もあなたも一人じゃないものね、乗り越えたことよね」って勇気づけているように見えました。彼らは個々にそれぞれのチームにいることで既に救済されているのだろうけれど、その確認だったのかもしれないけれど、同じ痛みを持つひとに出会うことでまた違ったふうに救われることもあるよなあと。それを馴れ合いとは呼ばないような気がします。「ぼくの居場所はここにありました。"そちらのぼく"はどうですか?」と重なる筈のない同じ二人が偶然交差した瞬間に、互いの歌声で語りかけている様子。


●フアン
言いたいことはどっさりなのに、彼がにっこりとほほ笑む表情の驚くほどのけれんみのなさにすべてうやむやにされてしまって、ちくしょうと頭を抱えたことが幾度か。はっとするほど笑顔がかわいい人。そういう部分も含め世渡り上手さがうかがい知れるところが素でフアンちゃん(と再演時に刷り込まれてしまった)。今回橙緑と本公演にて他のフアンちゃんを観て、別に「ふかき山河を渡り、たかき渓谷を越え」てきたからといってすれている必要はどこにもないのだと、うえきフアンちゃんはフアンちゃんとして亜種だったのかな、と今更ながらに気づいたのですが、LA VIDA ETERNALの歌詞の意味を深読みしたくなってしまったのは、やっぱり彼のフアンちゃんの業の深さを感じさせるところからなので、どうしても自分の「フアンちゃん像」の軸には彼を据えてしまいます。したたかな彼はメキシコはティファナからセントメアリーカトリック教区にたどり着くまでいったいどんな手を使ってきたのだろう。
創世記の「まいど!」から「ぼくのパパさん、ママさん…」「ここにまたつけたしてくのやろ!」のかわいさは当然のこととして、「親がいるってことは〜」でマークのほうへ歯をむいてフー!と威嚇するところも好きでした。加えて裏切りが発覚するシーンの「そないに怒らんといてよ」のからりとした響き、そのいっそ潔ささえ感じる悪びれない口調も。「道徳的でっしゃろ?」の甘えた語尾に繋がるのですけれど、あんな響きで口にされたら腹立たしさを通り越して、ぽかんと口をあけてしまう。悪いのはこっちだっけと一瞬迷ってしまいそう。
そういう些細なシーンで滲ませるフアンちゃん分が何ともいえず好きです。生き馬の目を抜くフアンちゃん。
そしてらちアブちゃんが救われるきっかけは、彼の口にする「家族ってことや」の響き以外にほかならない。


●ルーク
赤ボーイズらのコンフェッションがぐだぐだと切れ目なく続いてゆきそうになったときにこばりょルークの「よくわかんねえけどよう!」が絶妙なタイミングで差し挟まれた回が複数あったように思います。ルーク=KYキャラだと断言されたら、それはどうだろう…?とすなおに首を傾げてしまいますが、彼のストレートな感情表現、特にフアンちゃんの誕生日祝いに最初は調査内容を聴くのが待ちきれないといった落ちつきのない様子、、「あなた様のご両親のご住所をお知らせできる運びと〜」での喜びよう、事実が発覚した時にとても心配そうな表情をしていたあの心の寄り添いぐあい、もし朝までに〜でしゃがみこむフアンちゃんと同じ目線に屈んで、手を力強く差し出すシーンのこばりょルークはとても好きです。なんなんでしょうあの生きものとしての放っておけなさ。多分中の方のお人柄によるところがとても大きいのだと。彼のルークが更生センターに入ったのは何かの間違いでしょう。
大千秋楽でI believeに初めて泣かされてしまったのは、らちアブちゃんの頬を伝う涙をやさしくぬぐうあの大きな手のせいでもあります。

赤緑ルークのBODY MIND SOULは想像通りおそろしく楽しかった。舞台上の二人は散歩に1週間くらい連れて行っていなかった犬2頭をドッグランにせーの!で放したみたいなはしゃぎ回りようで、見てるこちらもわーわーはしゃぎつつもうんうん、いますごく楽しいんだね、きみたちを観てると私も楽しいよ、って笑顔で頷いてしまう感じ。