TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

ALTAR BOYZ 2012 2/18





「僕楽しくなるとつい、ブレーキ効かなくなっちゃうんだ。難しいなあ……」


○2/18(土)現在 ALTAR BOYZ 観劇記録
1/28 昼 RED
1/29 昼 RED
1/29 夜 ORANGE
1/30 夜 RED
2/1 夜 RED
2/2 夜 RED
2/4 昼 RED
2/4 夜 GREEN
2/5 昼 RED
2/9 夜 RED
2/11 昼 ORANGE
2/11 夜 RED
2/12 昼 RED
2/12 夜 GREEN
2/14 昼 RED(東京千秋楽)
2/18 昼 RED(大阪大千秋楽)


最後にこちらに感想を書いてから1週間ほど空いてしまったのですが、本日大阪は森ノ宮ピロティホールで行われたALTAR BOYZ RED大千秋楽を観劇してきました。
昨年は大阪名古屋にもゆかなかったので、新宿FACE以外でのABZ公演とはいったいどういう感じなんだろう、Callingでの携帯電話はホールの高い舞台天井からどうやって降りてくるんだろう、などしょうもない疑問以外にもあれこれ思いを抱えての遠征だったのですが、今回遠征を決めてほんとうによかったなと、観劇を終えた今はその気持ちが一番強いです。ALTAR BOYZ REDの単体での最後の公演に立ち会えたということももちろん、ホームの新宿FACEでない、一回きりの大阪公演ということもあってか、適度な緊張感に満ちた過剰な部分をある程度削ぎ落した、一番大好きなチームであるREDの公演を観ることができた、という意味でです。

基本「ALTAR BOYZ」というバンドのLIVE形式のこのミュージカル、”過度でなければ”曲合間のお決まりの台詞につけたされるアドリブも、役としての「MC」という括りで捉えられてしまうし、その遊びの部分をうまくやってこそ、彼らがその舞台上に立つ5人で「ALTAR BOYZ」であるというリアリティを出す事にも繋がると思います。そしてだからこそ、そのさじ加減を見極めるのが非常に難しいのだと。彼らの個々の役解釈が中の俳優さんのお人柄と重なってうまく作用することはあったとしても、他のあらゆる舞台と同様この「ALTAR BOYZ」という舞台においても、俳優さんの人格をもろにむき出しにしていいわけではないと私は思います。それこそその部分が出過ぎてしまえば「ALTARBOYZのLIVE」を観に来ているこちら側としては「役になりきれよ!」だし「バンドが壊れちゃうだろ!」と言いたくなってしまう。そこを「はみだして」いいお話ではない。
REDチームはご覧になった方はわかると思うのですが、特に初演から継続して出演されている上のお二方がラインぎりぎりのところがありまして、今回公演回数を重ねて彼らの熱量が増してくるごとに、観客側もリピーターが増えるごとに、その傾向が顕著になっていくなあと思いながら観ておりました。首を傾げながら客席に座りつつも、周りを見ればそういった類のいわゆる多分に「中の方」が露出するアドリブにウケているお客さんは数多くいらっしゃるようだし、もしかして彼らが観客に求められていると思っているものと観客の大多数が彼らに求めているものはきちんと合致していて、自分を含めた少数だけがそこに順応しきれず零れ落ちてしまってなんともいえず居心地の悪い思いをしているのかなと、どういった心構えで彼らを観るべきか、自分側の心の持ちようまでも何度も何度も確かめてしまったりもしました。私の好きなREDチームはもう引退してしまったのかなとすら思った。
彼らの歌とダンスを楽しむ「ショー」として観ればいい、と仰る方もいましたし、確かにそれもひとつのあり方かもしれないとも思ったのですが、私個人としてはやっぱりALTAR BOYZは、見過ごしてしまうほどさらりと編み込まれている違う色の糸を丹念にほどいて確かめるような、細かい部分ひとつひとつを目をとめて掘り下げて考えることができるとても興味深く愛おしい物語だと思っているので、そういった折り合いのつけかたはできないなと。
REDの、悪い意味でなくプロの「お仕事」としておきまりのことをやってる感、俗っぽいところ、そのなかに透けて見える培ってきたチーム感(という演技と実際のそれが入り混じったもの)が好きです。言葉にきちんと表せている自信はないけれど。どの二人つまんでもプライベートではぎくしゃくしてしまう可能性が大きいのに5人でいると全部がスムーズに段取り通りにゆく、というREDが一緒にいる理由を友人に提示されてああ……となりました。そもそもの「ALTAR BOYZ」をどういうチームとするかの色によっての解釈の違いは、何度も言いますが別の物語と捉えられてしまうくらい大きい。

連日観劇後に友人と話している際に、個々が役としていかに板の上で生をまっとうしようとしていても、彼ないし彼女に対して他の人が「役と認識して」接しなければ、その人は役として生きることができない、という話になったのですが、本当にその通りで、たとえば、レディガガともバージンレコードともソニーの人たちとも取引できない人生で最も素敵な時を送ってきた、とアブちゃんが口にした言葉が、ああ、と観客の心にすとんと落ちてくる説得力を持つには、その言葉を彼自身がどうやって響かせるかだけでなく、周りの人たちが彼にどう働きかけてきたかが見えなければならないんです。彼一人が役としてどれだけ素晴らしくても、ひとりだけで物語に綺麗なENDマークを付けることはできない。
私は赤のアブちゃんが一番好きで、だからといって彼を引き抜いて他の色に加えたいなんて微塵も思いたくなかった。前回ORANGEで今回GREENチームになった善ちゃんのような場合もあるので絶対とは言い切れませんが、それでも今回に限っては彼の演じるアブちゃんは赤のアブちゃんでしかありえないんです。全体を通して納得がいかないほどお二方の中の人が「はみだして」しまったと感じた観劇日は、彼が歌いあげる「信じてる君を」という歌詞をきちんと言葉の意味通り響かせてあげて(「あげて」という言葉はあまり好きではないのですが)ほしい、とただそこが本当にもどかしかった。もちろんそう感じたのは「いつも」ではないです。でも今回遠征を踏みとどまりそうになるほど、後半にいくにつれてその割合があがってきたのは確かでした。

だからこそ今回遠征をして観た公演が、大千秋楽に込められた彼らの思いだけでなく、冒頭に記したようにお客さんの層や上演する箱の大きさ、様々な要素が作用し合ってであったとしても、あまり好ましくないなと思っていた部分が多分に削がれていて、もちろん彼らのいつものアドリブはあったものの、私の好きなALTAR BOYZ REDがここにいる!(※当公演比)と、久々に魂が浄化された気持ちでいっぱいになりました。
基本的に上のお二方含めて私が注ぐ目線はREDチームへの愛で満ち溢れているので(こんなことを言っていたとしても!)拡大解釈やもろもろのフィルターがかかっていることは否めませんし、そもそもに彼らの板の上でのやり方が今まで逸脱しているように思えたということすらも自分の一つの捉え方というのは承知しているつもりです。結局自分の物差しでしか物事をはかることはできなくても、それでも自分の物差しと他の人の物差しが異なることはいつも心に留めおきたい。いつも以上に言い訳じみたことをくどくどとすみません。


漸く大阪公演の内容について言及できると思ったら力尽きかけているので、箇条書きでゆきます……。

・「全国津々浦々〜ぼくらのご機嫌ミュージックと!神の愛の手引きで!」
「禍の街新宿に幸あれ!」が言えない時点で予想しておくべきだったのか、と思いつつ、今回GREENしかやっていない、初演再演公演の脚本が帰ってきてました!久々に幾度となく脳内再生を繰り返した東山マシューのこの台詞が肉声で聴けてちょっぴり泣きそうに。元気ですかー!があるとあまりよくないアドリブの流れに繋がってしまうので、たぶんここから今回の流れは決まったのだと思います。

・らびだで泣きだしたフアンちゃんへの「元気ですか!元気出しませんか!」がなかった。
奥での水分摂取含めのやり取り等もろもろをやっていたせいでうっかりなのかもしれないですが、多分前述の台詞を取り入れなかったから一応伏線が張られていない=言ってはいけない、という回答が彼の中で導かれたのかなと。そもそもに中の方=マシューでいくにしたってそれならそれで「リーダー」としてふるまってほしいなと思うので、あの言葉をああいった状況のフアンちゃん、仲間にかけるのはあまりにもデリカシーがないなといつも残念に思っていた箇所だったので、納得がゆく流れになっていてうれしかったです。

・マイクスタンドアクシデント
これは今回に限らずで言及し忘れていただけの事項ですが、らびだのマイクスタンドアクシデントでアブちゃんの背を軽く支えながらスタンドを適切な高さまで引き上げるマシューのフォロー(演出)がすごく頼れる格好良い「リーダー」でいつも、ああもうこの人はこれだから!と思っていました。マシューとしてやっぱり好きになってしまう。

・「ちょっと待ってください」〜I believe
もちろん毎回同じというわけではなかったんですが、ここにきてアブちゃんの演技プランが微妙に変わっているように感じてあれ??となりました。歌詞カードを渡すまでの頼りなさげな様子、泣き出しそうな顔と、後ろから光がさした瞬間に頭上を仰ぐ、なにかを悟ったような表情の対比があそこまできっぱりとついていたどうか、 「不安ためらい」と歌う時手を震わせるのをやめていたところ、「I believe これには理由があるって」あたりで膝をついて祈る動作等々、納得がいかないものだったのではなくて、彼の中であのシーンを演じるにあたってなにか変化があったのかなあと、もしかして私が観劇できなかった際この流れで演じていた回があったのかしら? 願わくばこのバージョンであと何度か観たかったです。
あの彼が服につけた六芒星に手をそえてじっと見つめるしぐさをする時に、彼は彼の本来の神に心の中で語りかけているのか、自分が生まれながらにして置かれていた立場と今の状況を改めて引き比べているのか、彼が決断を迫られる時の無意識の動作なのか、色々に考えてしまう。

もちろんもっと細かいあれこれもあったのですけれど、基本的にアブちゃんを中心に観ているので(そんなの耳タコだぜってルーク!)、覚えてきちんと書ける箇所は「おばあちゃんそれこの間も言ったでしょ」的な内容になりかねない。みんなだいじょうぶさのアブちゃんがいつものことながら可愛すぎて、早く国民放送の歌のおにいさんとしてデビューしないかなあなど本気で考えていたりとそういうことです。らちアブちゃんギンビスのアスパラガスやたべっこどうぶつビスケットみたいに安定のおいしさが大好きです。





千秋楽だなんて信じたくなくて、実感がわかないのかわかせたくないのかわからないですが、まだ、おめでとうございます!と笑顔で口にできるには時間がかかりそうです。言葉にすることが決別でないと知ってはいても、そうそう簡単に手放せない。
来週末BLAZEで観られるものは彼らであって彼らでないことはわかっているので、それまでに心の折り合いをつけたいなあと思います。