TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

『ALTAR BOYZ』紹介その1


翻訳・台本の北丸先生いわく、これは「どこもはみ出していない子が、はみ出し者たちによって救われる物語」
いつも以上に独断と偏見に満ちた文章になりましたのでご注意をば。










 場所は新宿場末の小劇場、ドリンクを片手に狭い客席間を慣れた様子で行き来していた人々が、あらかたお行儀よく席に着いた頃。いつものように調子外れの声が、おきまりの文句でもって彼らの登場までのカウントダウンを開始する。律儀に歓声と拍手で応える観客ら。客席に予め備え付けられたパイプイスは座り直す度にぎしぎしと悲鳴をあげるが、これから目の前で繰り広げられるショーを待ち望む彼女らは、そんな些細なことは気にもとめない。
 肌に顔にまとわりつく紫煙の代わりのように焚かれたスモークのにおいは舞台の幕開けを予感させ、会場内の熱はいやがおうにも高まる。キーボード、ベース、ギター、バンドマンらは既に準備が整ったようだ。興奮の面もちで空のプラスチックコップを握りしめる者、ため息をつき腕を組む者、隣人とのお喋りに花を咲かせる者、彼女らがたてていた全てのノイズが、舞台上で鳴り響いたたった一音によってかき消えた。照明が落ちた舞台の中央で目映い光を放つ十字を背にしたバンドマンが、手にしたギターで勢いよく奏でる和音。その音を合図に、カーテン袖から登場する黒い影。
ーーショーの幕開けである。






アルターボーイズ達の到着まで、あと3カ月でーす!」
昨年の再演から転がり落ちてしまった、来年1月末に再々演を控えている、愛してやまないアルターボーイズという舞台の紹介です。
ひとさまのお話の受け売りであるのですが、やはり舞台は普通の人の日常においてふりかけで、あったらおいしくごはんが食べられるけれど、なくても味気ないかもしれないけれど、それで死ぬようなことはなく、白米だけでも生きてゆけます。ごはんだと、それがすべてだと思いはじめたら生活を送る上でちょっとあやうい、そういうふうに思います。好きになったら傾けるだけずぶずぶのめり込んでゆく、程度というものを忘れてしまう質であるので、それは自分への戒めの言葉でもあるのですが。
けれどたまにおかずや、それを軽々超えてごはんの位置にきてしまうあやういぐらい抗いがたい吸引力を持つ舞台があって、このALTAR BOYZが私にとってそれなんです。またらちアブやうえきフアンちゃんや、東山さんのマシューに会えると思っただけで色々なものを乗り越えるパワーに満ち満ちてくる。
以下、ご覧になっていない方用の紹介というかたちをとってはおりますが、ネタバレが多分に含まれておりますゆえ、まっさらな気持ちで観たい!という方には大変おすすめしません。それでもだいじょうぶ、という方のみご覧くださいませ。



元々オフブロードウェイミュージカルとして生まれたこの作品、タイトルの「ALTAR BOYZ」は教会で司祭をお手伝いする少年たちのことを指すらしい。神さまのお導きにより突如カソリックのバンドを組むことになった、生まれも育ちもばらばらの5人が、キリスト教を歌とダンスとおしゃべりで世の中に広めるため、君の魂を救済するためやってきたよ!ということで、世界ツアー最後の地としてここ日本に訪れたという設定で舞台は進行します。舞台上には観客の迷える魂の数を計測する「ソウルセンサー」が設置してあり、彼らがライブを進行させてゆくことでその魂を救済に導くことができたならば、ソウルセンサーが示す数字はきちんと減ってゆきます。この度のツアー最終公演でもいつもと同じように、徐々にその迷える魂の数は減ってゆきましが、とあるタイミングで、ソウルセンサーはぴたりとある数を指したまま、その動きを止めてしまいます。はたしてそれはいったいなぜなのか、彼らは会場内の迷える魂を全て救済することができるのか。

彼らが歌うのはジーザスの教えを分かりやすく説いた歌ゆえに、ご本家だと、(宗教基盤として)そんな当たり前のこと知っているよ、というような内容を大真面目にキャッチーなメロディにのせて歌う、ちょっとださめなボーイズバンドに仕上がっているようなのですが、日本版はその土壌が端からないということを想定し、演出も決定的に異なった仕様にされているところもあり、かつ観ている私たちが日本人であるので、ご本家とは舞台の核を貫くところも違うのだろうと思います。

冒頭にさらりと描写しましたが、元々舞台をやるような会場でない、ライブハウスもどきで行われるので、座席は簡素なパイプイスです。上演時間はだいたい休憩をはさまず2時間半ぐらいなので、その間ずっとぎしぎしと音をたてるそれの上で観客は耐えるしかありません。中毒のように通い詰めた人間は、他の舞台に通う方より腰痛持ちになるタイミングが早いともっぱらの評判です。1ドリンク制だからといって、開演前早々に飲み物とチケットを引き換えてしまうと、中途半端に飲みかけのプラスチックコップの置き場所に困ったり、椅子の下でうっかり倒してしまったり、それを恐れるあまりに飲み干してお手洗いに立ちたいのを必死にこらえるはめになったりと恐ろしい目にあいます。しかしこの舞台はライブ形式で進行しますから、指定席を買った方々は椅子に着席しておかなければならないとはいっても、両隣の人に迷惑にならない程度に、手を打ち鳴らし、足でリズムをとって構いません。

「ノイズが出る電子機器の電源はお切りになり、ご自身の手と足と喉でノイズを出す準備をなさってください!」

もしライブ感をより楽しみたいのなら、立ち見もおすすめします。一番後ろでも会場はそれほど大規模でないので見えないということはありませんし、段差がない分埋もれてしまいがちな指定席とは逆に、舞台の彼らと同じぐらいの目線で、視界がすこんと開けているのでボーイズらの足元までストレスなく見渡せます。
なぜあんな会場でやるかわからない、というお声を耳にして驚いたくらいには、ALTAR BOYZという演目は新宿faceで上演される以外に考えられません。前述したようにパイプ椅子で腰を痛めてもお手洗いが少なくてもドリンク飲むタイミングを見計らうの難しくても! ご覧になり、彼らに魅了されればきっとその理由がおのずと分かる筈です。初演、再演時は地方公演もありましたから絶対に、というわけではないのでしょうが、それでも彼らが一番輝ける場所は新宿faceの板の上だと信じて疑わない。立地状況ゆえに行き帰りにホストのお兄さんに絡まれるのもまたご一興。そういうときはこう言いましょう「これから素敵なキャバクラみたいな場所に行くの!」観終わった方には言葉の意味がわかる筈。

ALTAR BOYZの彼らが舞台の上に登場し、最初に歌い踊る曲が「We Are The AltarBoyz」です。君が呼べば僕らは君の街にやってくるよ、救ってあげるよ君の心を!という彼らのテーマソングでもあるこの曲では、「めーんばーしょーうかーい!」という掛け声とともに、ボーイズひとりひとりの名前が叫ばれ、紹介(という名のポーズ決め)が行われます。曲の途中かはともかくとして、ポーズをとるかは別として、どんなライブにもお決まりのそれ。彼らの名前は後々舞台中で当人らの口から語られますが、旧・新約聖書に名前があがっている聖人の名からとられたものです。マシューはマタイ、マークはマルコ、ルークはルカ、フアンはヨハネアブラハムアブラハム

このあたりで一人一人個別に紹介を記したいと思います。初演は固定、再演からRED、ORANGEという名称で二組のチームが作られ、今度の再々演ではメンバー入れ換わりに加え、更にGREENが追加され3色3チームとなったALTAR BOYZですが、わたしは本公演はREDのみの観劇だったので、これから書く個々のボーイズ像はREDのイメージによるものです。

このALTAR BOYZのリーダーであるマシュー。彼ははみ出しっこが集まるこのALTAR BOYZで唯一「どこもはみだしていない子」です。ご本家のマシューはあらゆる面において「平均値」であるがゆえに他の4人を浮き立たせるような存在として描かれているようですが、日本版の、というよりREDのマシューは全ての面に突出していて、それゆえに他の4人の異質さを際立たせてしまっているように感じました。ルックスにも頭脳にも家庭にも恵まれ、何不自由なく育ってきた、常に日なたの道を歩んできたひと。見た目がどうのこうのではなく、内側から強烈ななにかを放つ鮮やかな存在。目を引き付けられずにはいられない。彼が跳躍すると金色の粉が舞います。ウインクしても舞うし、手をさっと広げただけでも同じかもしれない。東山さんの華やかさとマシューというキャラクターの融合により、板の上に日本版のマシュー像が形作られたのだと思う。リーダーとなるべくしてなったリーダー。ソロナンバーは「something about you」

ダンスの振り付け担当であるマークについて。マークはカソリックでありながら、己の信仰する、愛してやまない神様にけして認められない性指向を持っています。彼の言動の端々から伝わる”なにか”を敏感にかぎ取った周囲の子どもたちの手により、幼いころいじめられっこだったというエピソードが彼のソロである「Epiphany」を歌う前に彼の口によって語られますが、そんないじめられっ子だったマークはマシューが自分を救ってくれた日から彼を「僕のガーディアンエンジェル」と呼ぶようになりました。マークはマシューが大好きですが、マシューは彼の気持ちに気づいているのかいないのか。初演マークは”いかにも”なかわいこちゃんのゲイだったとききますが、私が観た再演のマークは細やかな神経を持ち合わせつつも、うっかりマシューを押し倒してしまいそうな逞しく骨太な部分もある男の子に見えました。マークが担うのはゲイ差別の部分。

車の運転担当(?)のルークについて。彼は「ニューホライズン少年回復センター」に入れられていた、所謂札つきのワルでした。感情が昂ぶると即座に行動に出てしまう、拳を振るう、いったん立ち止まるということを知らない彼はきっとなんらかの法に触れ、「入院」させられてしまったのでしょう。こんがらがった毛糸玉の端っこを探すのを諦めて糸を適当なところでぶったぎってしまうような、そんな乱暴さ。彼だって語るべき言葉を持っている筈なのに。
ルークのソロ「Body Mind Soul」では彼の持て余した力をめいっぱい使うように客席に向かって言葉を投げかける、あおりが多い曲です。「魂を鍛えろ!」手がつけられないといっても、扱いが難しいはみだしっこの中では彼がいちばん身近に存在し得る人かもしれません。

衣装担当のフアンについて。フアンはメキシコはティファナの小さな教会の前に捨てられていた子どもで、彼は教会の「尼はん」(彼はメキシコなまりもとい関西弁なまりの言葉を使います)の手によって育てられました。まだ見ぬ両親が必ず自分をどこかで探し、待っていてくれていると信じて、フアンは手掛かりを求めて生まれ育った街を飛び出し、そうしてボーイズらと出会います。身寄りがないながらも、強くたくましく生き抜く彼の、その直前に発覚したある事実により折れそうになりながらも歌う、決意に満ちたソロナンバー「La Vida Eternal」はこのミュージカルの曲中でわたしが1、2を争うくらい大好きな曲です。フアンちゃんというキャラクターをきっかけとして、彼のバックグランドが知りたいがゆえに、メキシコの文化、死生観についての本を読んだりもしました。彼が担うのは今も根深く残る移民問題。移民、という部分にはぴんとこなくとも、身寄りの、両親のいないかなしみはお国関係なく普遍的なものであり、それゆえに感情を傾けて見やすく、フアンはそうやって一身に注がれる安易な同情をはね付け、ときには享受しこれまでを乗り越えてきたのではないかと想像してしまいます。舞台上での彼の姿は観客に気さくに話しかける様子「そこの姉さんも思ってはりますやろ?」「いまエッチなこと考えたでっしゃろ?」からもわかるように基本的に陽気なムードメーカーではあるのですが。

歌詞担当のアブラハムについて。名前からしてすぐに気づく方もいらっしゃると思いますが、彼はユダヤ人です。そう、キリスト教カソリックのバンドに所属しているのに。ルークと同じハイスクールに通っているらしき場面が彼らの過去回想劇中劇「ALTAR BOYZ創世記」であり、代筆したルークのレポートを手渡しにきたというきっかけでボーイズらと対面した彼は、その文才を見出され、マシューがいいアイデアが浮かばず悩んでいる曲に歌詞をつけるよう頼まれます。途中まで詞をしたためつつも「芸術のインスピレーションは神様からの贈り物、歌詞の続きはいつ出てくるか、わかりません!」とポケットにしまった一枚の紙が後々のラストの流れに繋がる重要なアイテムとなることを考えると、物語中で皆が皆重要な役割を担い、誰一人として欠けることはできないこのメンバーのなかにおいても、彼はある種キーパーソンといっても過言ではないと。
彼が身を置く「社会」において受ける人種差別と、カソリックプロテスタントの区別の前に、ユダヤ人、ユダヤ教を信じる者が「ALTAR BOYZ」というカソリックバンドにメンバーの一人として所属している、という異質さ、更に触れればその事により同じユダヤ人の目から彼の存在がどう映るか、を考えると、二重三重の意味で彼ははみだしっこであり、白い羊の中に一匹混ざった黒い羊なのです。
この舞台においてのそれぞれのポジションを考えると、5人ともに分かりやすい記号が用いられていて、なのでこのアブラハムという役どころも本来ならばお話に登場する典型的なユダヤ人、インテリながらも商魂たくましくしたたかで目的の為ならちょっと小狡い手段も使う、というようなキャラクターに徹していてもおかしくない。しかし彼は少数派の中の更なる少数派の悲しみを知っている、北丸先生いわく「BW版よりちょっぴり繊細な男の子」に描かれているということで、彼が書く(ということになっている)詞はわかりやすく平易な言葉で、すっと聴く者の心に沁み入ります。
特に彼がメインボーカルとして歌う「みんなだいじょうぶ(Everybody fits)」は、アブラハムは黒、他の4人は白のひつじのパペットを手にはめ、それを動かし踊りながら、みんなと違うところがあってもだいじょうぶだよ、ぼくらは仲間なんだから!というメッセージがしみじみと伝わる歌です。どこか某国営放送の親御さんと一緒に子どもが観る番組めいた仕様も手伝って、いつきいても本当に、そのまま子ども向けに放映してもおかしくないのに、と思ってしまうくらい素敵な歌だと思います。曲紹介はのちのち改めて記しますが、この歌をどのコミュニティにおいても「はみだしっこ」となってしまった彼がメインボーカルとして歌う、ということを、困難な状況下においても他者への気遣いをなお忘れないやさしさを持つ彼だからこそ、ととるかはたまた大いなる皮肉として捉えるか、と考えると、それだけでこの舞台全体を貫くテーマの軸がぐらぐらと揺れ出し、歌とダンスとMCをライブ感覚で楽しむだけの舞台にも見える「ALTAR BOYZ」が観る者にはひどく奥深いものにも思えてくるのです。あくまでこれはひとつのとっかかりであり、深い考察へ誘うかけらはあらゆる場面にちりばめられています。



アルターボーイズ世界ツアー最終公演セットリスト】

1.We Are the Altar Boyz(ぼくらアルターボーイズ
2.Rhythm In Me(リズムいっぱい)
3.Church Rulez(教会での決まり)
4.The Calling(呼び声)
5.The Miracle Song(奇跡の唄)
6.Everybody Fits(みんなだいじょうぶ)
7.Something About You(きみのなかのなにかが)
8.Body, Mind & Soul(肉体、心そして魂!)
9.La Vida Eternal(永遠の命)
10.Epiphany(真実の啓示)
11.Number 918(讃美歌918番)
12.I Believe(アイ・ビリーヴ)




とても長くなりそうなので、2曲目以降についての紹介は次回に。