TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

ミュージカル『ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812』

前情報から勝手にあれこれ想像して気後れして、あまりにも楽間際にチケットを取ったのをめちゃめちゃに後悔しています。その場に足を運んで自分の目で確かめないと、自分の心がどう動くかはわからないのが舞台!

 


舞台上にぼこぼこと空いた穴の中に埋まりこんで観劇する人たちが登場人物に絡まれる姿を見ながら、こういうやり方で観客を構成要素の一部へ引っ張り込んでくれる作品も好きかもと思った。中の人がはみ出したアドリブとしてのコールアンドレスポンスじゃなくて、役者が役をはみ出さないまま作品へ巻き込む、客席参加型演出。絵本入り込み靴がほしかったころをちょっと思い出しながら、物語へのパスポートを一時でも手に入れたような気になるのかも。

一度そう認識すると、コメットシートと舞台上を行き来するピエールがその境界線をかき乱してくれるのも面白く感じる。傍観者でありながら、どこかで舞台の上と接続しているような感覚をもって観劇をするということ。見られる側の人が見るに回って、でも見られている。

倫理観、道徳観がなっていない華やかで享楽的な人たちや、感情表現が激しすぎる人たちを見ながら、生きることの意味について思い悩んでいるピエールが、時々玉突き事故のように彼らの人生に巻き込まれたりする。その様子を見ながら、彼らを反面教師にするという意味だけでなく、真に思いやりやいたわりの心から出た言動だけが人間の背を押すわけじゃないということについて考えたりする。RENTのマークやグランドホテルのオットーをなんとなく思い出す。 

 


ピエールは芳雄さんの本領が発揮される役どころだと思った。こまつ座や新国立小劇場での演劇朗読劇『夜と霧』を選ぶ芳雄さん、ときいて腑に落ちる人なら好きな役。抑制がきいた引き算の演技をする、ちっぽけな人間としてもがく芳雄さんが見たい人向き。

厭世的で、だからこそ生きる意味や本当の人生について考え続けている、時々能動的に腰をあげては(ex.妻の愛人との決闘)力の入れどころはここじゃなかったと失望する、二歩進んで三歩下がっていたピエールが、1幕で歌う塵と灰で、ジャン・バルジャンのWho Am I ?を思い出した。

自分の内側で自問自答して、受け入れる準備はできています、みたいに遠くて近くて目に見えない存在に祈るのが似合いすぎる男!

 


そしてナターシャに言葉をかける2幕終盤の場面。

「もしも僕が…」とロにするピエールは、どうしようもない僕に舞い降りてきた天使にのぼせ上がって愛の告白をしたわけではなく、会ったことのあるかつての彼女の姿と本質的には変わらないのに、確実に何かが喪われているぼろ雑巾のような様子を見てびっくりして、とっさに自分が持っているものを差し出してしまったように見えた。両手に荷物をいっぱい抱えた人がいて、自分の手があいていたら目の前のドアをあけてあげるのと同じような感覚。まったく立場が異なる人の状況が切迫して感じられて、ひゅっと心が寄っていってしまうような。原作でこの後2人が恋愛関係に陥るのは知識として知っているけど、この段階はまだそこにいたってはいないのがいいなと思う。

 


突然湧き出た自分の感情や行動、相手から差し出されたものに、極寒の空の下、コートの袖が見つからないほど動揺するピエールという人を愛さずにいれる?って隣にいる人の肩を揺さぶりたくなる。

わからないことに驚き続けることは本人にとってどう考えても負担が大きいことだけど、同時に生きることの豊かさに絶えず直面している人を見るようだとも思う。本人からしたらたまったもんじゃない、でも舞台の上にいる人のそういう姿を見るたびに、それこそが物語を味わうことだと感じる。

 


登場人物のキャラクター設定やシチュエーションのことばかり書いてしまったけれど、この作品を楽しく観劇したのは音楽の力も大きい。

いやミュージカルだから音楽で楽しむってあたりまえでしょ、と言われたらそれはそうなのだけど、今までミュージカルを見ていても、歌詞が聞き取れなかったり言葉が練れていないと感じてしまうと入り込めないたちだったので。ファントムを見てから(聴いてから)、音符ひとつひとつにも役の心情やその場の状況が反映されていて、それを歌声として起こすことがもう演じるってことなんだ!音楽のうねりにゆだねて鑑賞するだけでも物語を深く味わえるんだ!と、あまりにも遅ればせながら、ようやく体感できたタイミングでこの作品を観劇できたのはとても幸せだった。普段ミュージカルで出会うことがあまりないようなメロディラインに驚きつつ、自然と引き込まれてしまった。マリアとお父さんのコミカルだけどよくよく聞くと切ないかけあいも、ソーニャがナターシャへの思いを歌い上げる曲もとても好き。

EDMのピコピコした音ゆえに(音楽を語る語彙のなさ)酒場で大騒ぎ場面のウェイウェイ感がすご

くて、いつもとは違う意味で(あすこに住んでるひととは世界が違う)と思ってしまったときも、入り込んでるけれど入り込まなくていいかたちでその世界に関われるから観劇は楽しい!とわくわくしながら巻き込まれつつ傍観者に徹した。

 


ピエール以外、特に視線を奪われた人たちについて。

アナトールのこにたんは、頭身バランスも含めてリアル速水真澄さまみたいな、一見浮世離れした美形なのに、生で見ると質感がすごくなまなましく人間だなと思いながら見ていた。ペらっぺらに軽薄な顔のいい男が手に入らないほど燃える女への想いに身を投じる(内心半身くらいなのか?)姿は見ていてにやにやするし、なんであんなに四方八方から恨みを買っていて、目を離したすきに刺されていそうな人が似合うんだろう。ナターシャをナタリーナタリー連呼するのが好きだった。音域的に難しいんだなと思うところもありつつ、色気のあるかすれ声も含めてハンサム要員が成り立っているという解釈です……芳雄さんに金をせびるのがあんまりにも似合いすぎる。きりやんエレンとの絡みの華やかさが拮抗している構図も、有閑倶楽部的ゴージャスさがあった。

 


エレンといえば、アナトールがナターシャとうまく会えなくて落ち込んでるのをよしよししてるきりやんの包容力に震えたし、兄妹なのにそれはだめでしょ、いやもっと見せて…?!と顔を覆った指の隙間から見るようなふたりの距離の近さがサイコーでした。きりやんのむき出しの背中に首飾りの石が垂れ下がっているように見える、衣装から透けている引き締まった背中がいやらしすぎないセクシーさで好きになってしまう…Charmingの「今までどこに隠れてたのかしら?」は言われたい台詞No.1です。原詞のままのCharmante, charmante、耳で聞いていたときは音しか拾えてなかったけど、リズムがよくて聞いていて心地よかったしエレンの振りも好きだった。