TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

ミュージカル『ALTAR BOYZ』2017

アルターボーイズという作品についてはもう、かなり言葉を出し尽くしているのだけど(過去記事参照)、書くことで記憶の活性化をはかって、それを反芻して刻みつけたい。感じたこと、個人の思い入れと、起こったこと描写の比率バランスの悪さがヤバイ。あるアルタ-ガールズの独白、みたいな感じでお願いしたい。

でべそ付近席アングル、ボーイズたちがぐぐっと迫ってくる立体感。審査員席以降の全景の見晴らしのよさ、舞台上を照らす光の強さとボーイズひとりひとりの輪郭の濃さ。青、赤、黄、めまぐるしく移り変わる照明に焚きつけられる感情。

最後のアンコール、今まで(再演から)楽日のそれはわりとおちゃらけていた記憶があったので、いつもと同じように気楽な気持ちで見ようとつとめていた。真っ暗な中にぽっかり浮かび上がる、何度見たって懐かしさでたまらないシルエットと、あの厳かな「新しい歌」の響き。何の構えもなくいたらどんな気持ちになるか、マシューが歌い出すまで考えてもみなかったし、だめ押しのように「バイバイ東京!」されるなんて思ってもみなかった。「ねねね、今日誰が来てるか、知ってる?」「アルタ-ガールズ!」それまでにも植木さんの挨拶の締めの「すてきな時間をありがとう」みたいな飾らない気持ちに、こういうところで突然いいことを言い出すのやめてよ!と悲鳴をあげたくなったり、随所でスイッチを押されそうになってはいたけれど、一番のきっかけはここだったと思う。ラストWeAreThe分の視界を返して!というくらい涙に埋もれてしまった時間が悔やまれる。

 

再演を見てから毎回、いつも今回が最後だと、私のボーイズを拝めるのはこれっきりだと思っていた。それから三度奇跡は訪れて、だから最後って言われてもいつかまだどこかで会えると、逆説のようにぼんやりと信じている。宝塚と違って緑袴着て大階段降りてパレードするわけじゃないんだもん。ラストステージ詐欺には慣れてます、慣れさせてくれ。イカしたポップミュージックの光で洗い清めて、ダンスフロアのリズムで蹴散らしてくれないと、魂も地球もイってしまう! 普段は忘れかけてるのにふと思い出したときだけ祈ってちゃっかり勇気をもらっちゃう、年末年始だけ詣でるくらいの不良信者のアルタ-ガールズでいさせてほしい。ぼくらの神さま、あるいはガーディアンエンジェルとしてのアルターボーイズは消えはしないんだ。

冗談じゃなく心臓が張り裂けそうなほど多幸感に充ち満ちたあの新宿faceという空間にいると、感情の振れ幅が毎回、自分でも驚くくらい大きくなった。どちらかというとかなりおとなしい、じっとしているのが苦でないタイプの人間が、あんなに笑顔をたたえて声を出してしまう。周りからどう見られているかなんてお構いなし、萎縮しないでいられる空間他にはない。椅子の幅ぴったりにおさまる程度の傍若無人ぶりなので許してください。愛してるって言葉の暴力性についても十二分に知っているけれど、叫べば同じだけの気持ちを放って返してくれるあのやさしい場所では、そう口にすることが許されている気がした。彼らがここを去るときはいっそここで殺してくれよ、と血の涙を流す思いで、もうこんなに大好きに思えるものには出会えないんじゃないかと思った。

でもフアンちゃんがいうように人生は続いていって、アブちゃんがいう希望みたいに、捨て去るにはあまりに大切すぎる愛すべきものやひとに、あれからも数多く出会った。こんな感情のうねりを、こっぱずかしくドラマチックに書き起こしてもまったく大仰に思えないくらい、自分の輪郭からはみ出すほど気持ちが暴れている。彼ら以前に出会った大事なものとの忘れがたい思い出もいくつもあるけれど、”人生でもっともすばらしい時”の数時間を確かに私は、私たちはあの、新宿faceという場所で過ごしていた。

私たち、という主語に常につきまとう安心感と危うさの意味を考えつつ、それでも臆せず使うとしたら今この文脈以外ないんじゃないかと、キーボードを叩きながら思う。

 

時間を少しあけて読み返したらやっぱり頭を抱えるほど恥ずかしかったけど、これも記録。