TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

望海風斗 MEGA LIVE TOUR 『NOW! ZOOM ME!!』④

望海風斗 MEGA LIVE TOUR 『NOW! ZOOM ME!!』④

 

ENDLESS DREAMな望海さんと軍服モチーフの衣装について

 

 

 月火水木金働いたら会えるヒーローを励みに日々を生き抜く雪組子の、元気はつらつとした歌に勇気をもらった直後の場面。彼女らにとっての「ヒーロー」がご登場?と思いきや、ゆらゆらと蜃気楼が立ち上ってきそうなあやしげなイントロと共にせり上がってくるその人が「ヒーロー」という言葉とはまるで無縁の雰囲気をまとっているおもしろさ。闇の中でぼんやりと光って、ふらふらと引き寄せられてしまう誘蛾灯のような。
 目も眩むような圧倒的な光ではなく、それでも見るものを虜にして何処かへ誘ってしまうような、あやしげな魅力。

 望海さんは芝居の中で対峙する相手、主にきいちゃんの役に向かって、必要な場面で必要に応じて醸し出す、役を演じる上での色気の出し入れも、ショーで誰かと絡んだり客席に語りかけるように振りまくときの色気の使い方も、自由自在(?)なスターさんだと思います。だんだん色気という言葉がゲシュタルト崩壊してきた。
 しかしENDLESS DREAMでのそれは、もちろん客席に向けて見せるものという前提でのパフォーマンスではあるのだけれど、舞台上に望海さんただひとりしかいないからこそ効力を最大限に発揮する、発散されながら同時に内に内にこもっていくもののように思えて、この色っぽさは何事…!?と見ていて悶々としてしまった。宝塚の舞台上で女性らしさに振られるようななよやかさはないのに、普段の男役としてのどっしりしたそれとはまた線の描き方が違うような存在感(グッズの絵の人の話はしていない)。あゝ無情の「涙はしょっぱすぎるし」のときの仰け反りもだけれど、どこの誰へのアピールかわからない仕草で私たちを悩ませないで、いや悩ませて。
 そこにない誰かを、何かを強く求めて空に手を伸ばすような表情や声音の色気に、大劇場のど真ん中で望海さんは何をしているの…?いやブルムン主題歌を歌っているだけだろしっかりしろ私、とつっこめるのはPCの前に座って思い返しているおかげで、劇場にいるときの自分にその冷静さは当然のことながらなかったです。
 
 しかしそうやって歌詞の意味を声と身体で一つ一つなぞり上げるように歌っている人を見つめていると、彼女が何かを求めている様子が、みている側にとっても狂おしく恋しいものに思えて、ENDLESS DREAMを歌うあなたが追いかけても決して掴めないENDLESS DREAMではないですか、と問いかけたくなってしまう。金色の砂漠のテーマを聴いているときの泣きたくなるような切なさと近しい感情がぐわっと湧く。単に歌詞の世界観を広げすぎる望海さんが、そういうオタクではないのに、2次元ジャンルを通ってきたオタクの心に刺さりまくることの言い換えとも言います。

 

 と、上記のような感想を書いている人間として非常に言いづらいのですが、ポスターが出た当初は、あの衣装を受け入れがたいものとして認識していました。

 理由は二つあって、一つは芝居の中の役としての必然性がないところで、たとえあったとしても、宝塚の男役が身につければ必ず「かっこいいもの」として肯定される軍服モチーフの衣装を、その機能性や美しさがなんのために存在するかに深く思いを馳せず、ただ「かっこいいから」という理由で宝塚の衣装として使用することは、果たして今の時代に「あり」なのか?という疑問があったからです。
 もう一つは、ポスターを見た段階では、あの衣装が望海さんの魅力を引き出すものとは思えなかったから。思い出して打ち込みながら、今となっては説得力が全然ない言葉だ…。

 ポスターだけだよね、と自分をなだめすかして不安を抱えながら迎えた初日、幕が開いた瞬間(ウワーーー!やっぱりこれを着るのかーーー!)と叫び声をあげたくなったものの、ずっとみているうちにそこまで悪くはないのでは…?と思い、前述のENDLESS DREAMの場面で、そういうことか…とわかってしまってからは、もしかして、似合っていらっしゃるのでは、着込なして、いる…?という方に傾いてしまった。
 「そういうことか」はブルムンの曲を歌うにあたって、真琴つばささんの頭にバンダナ巻く方のミリタリを再現、ではなく望海さんんが大好きなタニさんが着ていた方をコンサート仕様にアレンジした、のか…?という私の想像です。それにしたってミリタリには変わりないのだけど、望海さんの思い入れのある過去のショーの再現(?)という設定があったことにより、握りしめた拳の行き場がやや失われてしまった。
 あとチェシャ猫みたいなふわふわの大きいファーが右半身をざっくり覆って、上半身の衣装の多くを隠しているので、悪い意味での視覚的な攻撃力が半減しているのもある。あの小さいハットのかぶり方が絶妙で、望海さんが普段気にしていらっしゃる(私は「共鳴ライン」こそが望海さんの魅力と思っています)顔の輪郭がシュッとして見える。理性では引っかかりがありつつも、この格好の望海さんに完全に惹かれている。歌の魅力をさらに引き出す衣装だとも思う。思うのですが。

 

 コンサートをめちゃくちゃ楽しんでしまった人間としてどの口が言うか、という話ではあるのだけど、それでもやっぱり今後このモチーフを起用することについては、慎重になってほしいな、と思う。生徒が魅力的に見える、見えないの話ではなくて、むしろ魅力的に見えてしまうからこそ、そこに確かにある暴力性について、観客である私たちも目を覆ってしまいかねないから。ショーアップをどれだけすれば、現実の服が持つ機能や意味から夢の世界へ、衣装は飛び立てるのでしょうか。果たしてそれは「努力」により可能なのか。
 私が気にしすぎなのか、気にしすぎならいいのだが…と思いつつ、サイトー先生へ感謝と祈りの念を送っている。