TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

望海風斗 MEGA LIVE TOUR 『NOW! ZOOM ME!!』②

望海風斗 MEGA LIVE TOUR 『NOW! ZOOM ME!!』②

 

 コンサート全体を通して見た時、いわゆるクラシカルな宝塚の魅力を伝えるコンサート(というものの蓄積がないファンなのでどなたかに事例を教えてほしい)ではないという印象を与えるらしい『NOW! ZOOM ME!!』ですが、じゃあそういう場面が一切ないかというとそんなことはない。私だって正統派男役の魅力を体現する望海さんを見たい。三木先生や岡田先生のショーだってすごく好きな人間です。

 今回のコンサートでは、1幕ラストの黒燕尾と、2幕のリクエスト3曲の場面がそれに当たるのかな、と思っての感想です。

 

 黒燕尾を着て踊ることを初めに考案した人に一体どうやって感謝すればと思うほど、三度の飯より男役の黒燕尾が好きな人は多いはず。どうも、ご飯も好きですが、黒燕尾もたまらなく好きな宝塚ファンのうちの一人です。

 

 正直、黒燕尾前座(?)のマジシャンの場面の衣装もめちゃくちゃ好みなので、この格好の望海さんをもう少し長い尺で見たい思いもあったけど、タカラジェンヌのマジックショーが見たいわけではないのでこれくらいでちょうど良かったのだと自分をなだめている(映像で見たビクトリアンジャズの、金庫の暗証番号を合わせる望海さんの指がめちゃくちゃ綺麗なのを思い出しつつ)。ばん!と入れ替わりにボックスから登場の可愛いひまりちゃんを愛でていると左花道からせり上がる望海さんを見逃すので注意してほしい。

 

 初日から数回、こめかみ近くに撫で付けられた髪がぴょこんと跳ねている回が続いて、ボックスを抜け出るときに引っかかるのかなと思っていたら、ある時から直るようになっていて、工夫がされた部分について思いを巡らせた。それを醍醐味とされるのは出演者の本懐ではないのだろうなと思いつつも、ちょっとしたハプニングから軌道修正された過程を目撃し、生の舞台を見ている実感が強くなることもある。

 

 片手を軽く顎に添えるようなポーズでせり上がる姿に、男役望海さんここにあり、という高揚感と安心感を同時に覚える。我こそがスーパーヒーローと名乗りをあげる歌での自信に満ちた笑みに、観客の期待とスポットライトを受け止めてなお内側から光を放てる人だけがそこに立てるのだということを改めて噛み締めた。まあ、望海さんが黒燕尾で銀橋で腰を揺らめかせたり仰け反るのを見ながら、いっさい露出のない格好だからこそにじむこの色気っていったいなに?と毎回厳粛な面持ちをしつつも煩悩の狭間で揺れていたのですが……マジシャンの格好から黒燕尾になったとき胴回りがひとまわりくらい大きくなっている印象(銀橋ののけぞる振りで燕尾が垂れてシャツを着た胸と背中が横から見えるときにわりと厚みがあるなと思う)なんだけど、やはり黒燕尾になるといつものしっかりした補正ですか、それとも下のベストが…?と補正チェックをしてしまう。

 

 ノゾミ、ノゾミとご本人の芸名を連呼することのおもしろさに引っ張られていたけど、よくよく聞くとENDLESS DREAMとブルーイリュージョンの歌詞を書いた作家・演出家という設定に納得ゆく内容だった。沈む海の果てから地の果てまで、這いつくばって駆けずり回ってほしいし奪われた物語を隠していそう、奪われた物語を奪還するまでの冒険を経てドラマチックに散る人がとっても似合う人に当てる歌詞としてとてもわかる。オタクがえぐられる何かがある。

 

 友人の感想を聞いてから、スクリーンに映し出される電飾のついた大階段の前で一人踊る望海さんと、そのスクリーンの前で踊る望海さん、という光景が、より深く胸にしみるようになった。もともと上演予定だった劇場と大劇場の見え方が違うのか、そもそも2階席後方のお客さんは出演者だけを見てね、という設定だったのか、私には知るすべがない。全ての席から見えにくい映像を使用することへの批判はもちろんあると思う。実際は立っていない劇場に思いを馳せるところを、本拠地の大劇場の舞台上、しかし大階段は出されていない、という状況での上演が想定されている構成ではなかったかもしれないけれど、スクリーンの前で映像の中のもう一人の望海さんと同じ振り付けをのびやかに踊る姿を見ながら、とても神聖なものを見ている気持ちになった。

 1幕ラストの場面というのもあるけれど、娘役さんも登場しての群舞なのが良いし、ノゾミ~Akatsuki~ノゾミ、の編曲も、ダンスのテンポが変わるところにもとてもグッとくる。紙吹雪が舞う中、センター後方でスポットライトをあびた望海さんが歌い上げて幕、という締めくくり方のテッパンな強引さが、なんだかよく考えると歌詞も不思議でヘンテコなところもたくさんあったけど、私、宝塚を見たな…見たわ…という充実感に溢れる場面です(強引)。

 

 2幕のリクエスト3曲、どれもとても好きで、望海さんひとりだけが立つ大劇場の空間、余白を埋めてなお溢れるように響き渡る歌声の豊かさを身体全体で受け止めたい場面だった。

 3曲めの愛の旅立ちが宝塚の曲じゃないことを千秋楽の望海さんのトークで知ってびっくりしたのだけど「Si L'on Revient Moins Riches」というシャンソンに日本語の歌詞を当てた(原曲の歌詞の訳詞ではなさそう)もののようで、宝塚だと思っていたら宝塚オリジナルではない案件、確かに宝塚でよくある話だ。古くからいろんな方が歌っていらした曲なので、それぞれ歌った方のファンはみんな同じような感想を抱いている木がするのだけど、あまりにも壮大な歌詞で、ひとりの人への愛の歌としては受け止める相手にものすごい覚悟が必要そう。望海さんの「僕のこの愛」も、生身の肉体を持ったたったひとりの人へ捧げるというよりは、もっと大きな、それこそ「宝塚」という芸能自体への豊穣な愛、祈りの歌のように聞こえました。もし特定の「誰か」であるとすれば、それはあのロングトーンを響かせる人に並び立てる相手で、きいちゃん以外に他ならないのだと思う。

 

 という流れで項目を分けて、Cパターンの話に移ります。