TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

望海風斗 MEGA LIVE TOUR 『NOW! ZOOM ME!!』③

望海風斗 MEGA LIVE TOUR 『NOW! ZOOM ME!!』③

 

 Cパターンと望海さんときいちゃんについての感想。

 

 Cパターン初日を迎えるまで、コンサート自体、楽しくて幸せだなと感じ、きいちゃんがいないということに大きな不満を感じるということはなく観劇していたはずなのに、ムラ最終日に二人が並んでいる姿を見た途端、私はこれが見たかったんだ、と切望していた自分の心に唐突に向き合わされた。水やりを忘れていた部分の土がカラカラであることに、おいしくてぜいたくな水をたっぷり注いでもらって満たされたことで、初めて気づいたような。 

 望海さんの隣にきいちゃんがいることにものすごくちょうどいい温度の温泉につかっているような心地よさをおぼえつつ、こんなふうに2人が一緒の姿をみられるのは宝塚にいる間だけ、と思ったら、その日が迫ってきていることがものすごく現実的に感じられて泣いてしまった。you raise me up〜輝く未来だけでも大変なのに、ランベスウォークも私が踊る時も観られてもう天国に行けない(観たいもの全部叶えられちゃった)と一瞬思ったけど、そんなこと全然なかったし欲望こそが最後の神でもある。2人が歌っているのを聴きたい見たいというのは、2人が何かの役を演じて、相手の一挙一動に心を動かして、それを互いが歌で表現しているのが聴きたいという意味なのだとわかった。こんな素晴らしい組み合わせの2人の公演があと一公演しか残されていないなんて、そんなことあっていいのか。びっくりしてしまう、びっくりするけどきっとたくさんのコンビに夢を見てきたたくさんの人たちが、同じような思いを抱いてきたんだろうなとも想像する。  

 

直前のコントコーナーから一転、きいちゃんがせり上がってきた時のギャップが壮絶だった。(10/7追記:友人に「せり上りじゃなくカーテンの隙間から出てきたのでは…?」と教えてもらって、きいちゃんのまぶしさに目が眩んで何も見えてなかったことに気づいた…)真っ白なドレスだし、あまりにかわいくきれいでホログラムかと思ったけど、ホログラムではありえない質量豊かな声が劇場ぜんたいを包み込んで揺さぶっていた。あんなの世界を変えられる祈りの歌じゃありませんか(=望海さんの「愛の旅立ち」)。 2人の銀橋でのトーク冒頭で、無観客配信のMSを見た人、と望海さんが口にした時、割れんばかりの劇場の拍手にきいちゃんが思わず涙ぐむというひと場面があったときも、きいちゃんが観客の存在を感じているように、こちらも実在しているきいちゃんの存在をひしひしと実感した。嬉し涙であったとしても、今様々な困難な状況があって、それが少し解消され前へ一歩進んだことへの嬉しさの表れという意味では、涙を見られて良かったとかそういう意味では全くないのだけど、時差なくダイレクトに送ったものを受け止めてもらえる、こちらも受け止める、受け取ったことが伝わる、という流れが同じ空間を共有して、実現するシチュエーションに新鮮に驚く。 

 配信でたくさんの人が彼女らのパフォーマンスが見られる機会を得られる、ということは演者にとっても観客にとっても今の時代に必要なことだと思うし、私もその恩恵に預かる立場だけれど、生の舞台ももちろん双方にとって必要で大事で、折々に、そこに可能な限りは足を運べたらいいなと思う。


 1曲めの選曲について、この状況下なので客席の観客に自分の歌で勇気を届けたいというような気持ちで選曲したけど、今日は久々の大劇場ということもあって、自分自身がこの歌を支えにして勇気を振り絞っているように気持ちをのせてしまった(ニュアンス)と口にするきいちゃんの、当初の意図とは異なった歌い方をしたことに対する後悔を、でもそれが生の舞台の醍醐味だよ、と返す望海さん(ニュアンス)、という2人のやりとりがとても好きだった。望海さん、きいちゃんをさりげなくフォローしたり容赦ない誉め殺しをかわすときちょっと芳雄さんみたいじゃん…(再び)。友人が、きいちゃんの容赦のなさは浦井くんに似ているのでは、と言っていて、このコンビのトークの方向性が少しわかった気がした。


 自然に信頼しあっている2人の姿を見せてもらえることのありがたさを噛み締めているし、女が女に人生を賭けられるか?という問いから生まれた同人誌のことを思い出しながら、宝塚のトップコンビってそのいろんなかたちのうちのひとつなのかもしれないなと思った。人間同士のパートナーシップの最高の結実のひとつとしてのトップコンビを、憧れをもって見つめている。二人組だけが人生ではないんだけど、そういう強い結びつきがこの世界にあることのありがたみに、何回も新鮮に驚いて何かに感謝する。  

 

 しかしそもそも「輝く未来」でデュエットするようなコンビとして2人を見ていなかったので(それ、新妻さんとデュエットしたやつじゃん、それってもしかして…!?)ときいちゃんが歌い出した瞬間変な汗が出かけたし、お約束のところでせり上がってくる望海さんの存在が私の中で全くお約束でなくて心が嵐だった。いやという意味ではなく、舞台中央でようやく出会って寄り添う2人の姿に(これだ、これが見たかったんだ…!)と多くのあやきほトップコンビオタクと同じく心の震えが止まらなくなり、銀橋センターでのバックハグゆらゆら振り付けでは、最初(0.1秒くらい)揺れている意図を認識できなくて思考停止した。Cパターン映像をタカニュで見るまではまぼろしだった可能性をかなり捨て切れなかった。歌の素晴らしさも噛み締めていたはずだけど、記憶を遡ると「動揺」の2文字が返ってくるので、早くブルレイをください。

 私にとって望海さんが王子様かはちょっとよくわからないんだけど、きいちゃんの目に望海さんがそういう風に見えていることもある、という事実にあたたかな気持ちになることは確かにあるんです。

 

 「ランベスウォーク」は望海さんのビルのセリフが聞けたのも嬉しかった。ああいう乱暴な振る舞いはするけど根は素直、みたいな役も望海さんにめちゃくちゃ合う(けど回ってこない)と思うので(子ども時代ヌードルスで近いものが見られた)。きいちゃんの膝に肘を乗っけての頬づえついて望海さんを見つめる、嬉しくてたまらない気持ちが溢れ出る表情も、隣でスカートをふりふり踊る姿も、めちゃくちゃかわいい。「顎で受け止めて」聴かせてくれ〜〜! 望海さんは「街灯の下」ね。 

 

 そこから一転、空気がざっと変わる「私が踊る時」はイントロを聴いた瞬間思わず天を仰いだ。きいちゃんがシシィが似合うタイプかはわからないし、望海さんもトート以外に演って欲しい役がたくさんある、私も東宝版と併せてエリザは一生分見た、そして宝塚のエリザはそこまで好みではない、という立ち位置なので強く望んではいなかったけれど、2人のパフォーマンスに、なんでやらなかったんだろう、見たかったな、と思ってしまった。きりりとトートをはねのけるきいちゃんのシシィと、それでも手を伸ばしてくる望海トートの自信に満ちた傲慢で艶やかな声よ。


 のぞみさんがきいちゃんのことを大事な相手役さんと思っていることに疑いの余地はないんだけど、そんなにわかりやすく「好きだよ」みたいな感じが欲しいわけではなく、私だけがまあやちゃんのことを知っているから、というようなにおわせがしたい人と思っているわけでもなく、自然にお互いがお互いを唯一無二の人として思い合っているのをまわりがニコニコ見ているイメージ。ふたりにしかわからないものを共有しているんだろうな、それを時々垣間見せてもらえるなんて、なんてありがたいことだろう、と抱きとめてこぼれないように持って帰った。しかし他の組子とのトークコーナーでのあやきほエピソード列伝は、動揺する望海さんの姿含めてめちゃくちゃありがたく心に収めた。 

 

 あんなに尊敬している先輩に、押忍!お願いします!って躊躇なくぶつかってゆけるきいちゃんの望海さんとの距離感がほんとうにすごくて、どうやったらきいちゃんみたいになれますか、としばらく考えてしまった。あまりにかわいいので非実在女の子のように愛でてしまいたくなるけど、私の中でアントン・ナバロ(コルドバ)が「きいちゃんだって道から外れて歩く権利はある」「自分の弱さをきいちゃんにぶつけてはならない」と…… ロングトーンテクニックがあーさにまで共有されてる話のきいちゃんの「おいしいものはみんなでわけあうともっとおいしくなる」精神がなんかもうあまりに理想のきいちゃんで、そうやって神格化してはいけない!!と思いながら自分のなかの悪しきものがしゅわっといくつか溶けていくような感覚があった。


 あやきほデュエットアルバムに入れて欲しい曲を考えていたけど、2人があんなに歌うひかりふる路があったことが、もうめったにない幸せだったのではないかと思った。と言いつつ数曲あげる。


・ルドルフ・ザ・ラストキスの「2人を信じて」「それ以上の」(「ただのロマンスじゃない、夢でもない、あなたはそれ以上」ってふたりに歌ってほしいので…)

・ボニクラの「世界は2人を忘れることはない」

エリザベート「私が踊る時」(東宝ver)