TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

ショー・パッショナブル 『Gato Bonito!!』 ~ガート・ボニート、美しい猫のような男~

ねこの夏が終わってしまった悲しみを抱えて生きる。うつくしいねこの出てくる夢を見て、幻にさらわれました。

のぞみふーとに精力を使い果たしているのだ我々は!!!

 

 

SV!がサービス精神のかたまりみたいな全年齢対象のショーとしたら、この瞬間を2,000人超の人数で共有していてよいのかとドキドキしてしまうような場面がふんだんにあるのがガートボニート(個人の見解)。お正月からNHKで流すなら確実にあちらが正解で、でもどちらも忘れられない作品。

ラテン×猫って盛りすぎでは?その食い合わせはどうなのか?と発表時にはいぶかしんでいたけれど、予想を上回る見たい光景の連続に、望海さんの瞼のきらきら水色くの字ラインを見るたびに大介先生にありがとうの念を送っている。贔屓トップスター就任中に1回以上ラテンショーが巡ってくる巡りあわせ(私が宝塚ファンになってから、生で観たラテンショーは星組(パッショネイト!)、雪組(ラ!)、そして今回の3回だ)。
そして猫のようなっていうかもう猫じゃん。贔屓役者が猫の役(??)をやるなんて一生に一度あるかないかでは? ニャーニャー叫び声をあげるひいきをあなたは合法的に拝んだことがありますか???

ショー全編、やたらとソフトえすえむめいた歌詞、娘役(と女装?の男役)を男役が強引に振り回すような振付が頻出するけれど、この夢の世界だからこそ美化されて、安心してうっとりと見ていられる。現実ではあり得ないものという意識が共有されているから上演できるものだなと思う。舞台上の虚構というのだけでなく、生身の男性が演じる世界ではないというのがやはり大きい。男性が演じるドンジュアンは想像だけできっついなと思ってしまうのに、宝塚の男役が演じるのであれば彼の行動をどきどきと見つめられるのと同じ。
そして男役が娘役の手を強く引いて抱き寄せられるのは、タイミングをはかって自分から引き寄せられる、娘役との呼吸のあったコンビネーションあってこそのもの。バッサバッサとひとが倒れてゆく殺陣の気持ちよさは、斬られる側の身のこなし方があってこそ、というのと少し似ているのかも。
鼻先を掠めるシルバーネイルにはらはらを味わいつつもその切っ先に痛めつけられることはない。しかし息をするタイミングを失ったりはする。

にゃーにゃーBGMの後、せり上がってくるみとさんねこの歌唱と白ねこちゃんズの舞。そして一呼吸おいて銀橋センターに躍り出るさきちゃんの跳躍ととんでもない歌詞(おれのマグマ)、勢いよく走り込んでくる男役の銀橋一列並び。銀橋一列に並ぶタカラジェンヌを嫌いな宝塚ファンはいないと思うけど、なかでも男役が一列に並ぶ光景に心躍らせない人はいないのではないか(Mr.Swing!を思い出しつつ)。腰を揺らめかす振りももちろん、本舞台に戻る直前の「ハッ!」とも「ウッ!」ともつかない低い掛け声と肘を引く振りがすごくツボです。ギラギラにキメ顔しているあーさやなぎしょも好きだし、上手ブロックで疲れたらおれを見なよ、みたいにゆるっとした笑みを浮かべてるりーしゃもとても危険。
そんなこんなであいつがやってきます。

くるんとねこのしっぽのような月のようなベットの上で、寝そべったりのけぞったりするなんてきいてない。「来てしまったよ」もの憂く放り出した歌詞と歌声と、ぴっとこちらに向けられていて逃れられない視線に息が止まった初日。猫っていうかサキュバスでは?あなたがあまりに美しすぎるから、は歌っている人にそのまま返してしまいたいけど、あなたがあまりに激しく求めるから、は否めないと思った。もっと見せて!という感情の激しさ! 下手に張り出した板に張り付いた後、くるっとまわる反動で腰巻き段々フリルをひきはがす、袖に無造作に投げ捨てた後、銀橋に躍り出るとき。脚をするすると滑らせて、センターに我が物顔で身を横たえたと思ったら、伸びをするかのごとくの大開脚、目を細めて歪めた口元の開きぐあいの危うさに、色香に惑う。きほちゃんを引き寄せて踊っては、気まぐれに突き放して袖に引っ込む自由さも、心が休まる暇がないありがたい。

東京初日以降の、紗の向こう側の人のかつらがストレートとパーマどっちなのか、幕が上がる前から凝視していた時のことをきっといつか思い出す。先行映像と違うじゃん!とムラで観ていた時不満があったわけではないけれど、東京で両パターン見た後は、選べるならばパーマの方が好き。ストレートは若干ジェラ山み(るろけん)。
ラテンショーで宣材写真にもなるメインの衣装が白地なのはめちゃめちゃチャレンジャーだなと誰しもが思うことではないか。どんどんと茶色に汚れていく衣装がいっそすがすがしくもあった(?)。ショーのつなぎを担当する白猫ちゃんたち(娘役さんのかわいさがやばいし、男役3人ももちろんかわいいけど、いまよりこの人たちが研数を重ねて「こんなに格好よく立派になった男役さんがねこ耳つけてニャーニャーしてたことがあった」って後から思い返したり映像見返したりそのときに新たにファンになった人が生で見逃したことに歯噛みすることをいまから想像している)もファーが茶色くなってどろんこハリー(いっぬ)状態。汚れているところはデュエダンで組んだ相手役がよく触るところだなってわかるから尊い、と友達に言われてからはそういう目で見ているけど、汗っかきさんは余計に大変そうだ。

本筋に戻ります。
金テープを背景に、きほちゃんと銀橋に二人残ってのクンバンチェロ!!!
コンガを生で見逃した女(けれどはまりたてのころ狂ったように再生していたショーはコンガ)なので、蘭寿さんのあれを!望海さんが!!!という興奮で感極まったあげく、初日は音楽が鳴った瞬間泣いた。あんなにアッパーナンバーなのにもかかわらず。Mr.Swing!に、花NWに通った日からここまで来たんだなあという感慨。蘭寿さんが最前列センターのお客さんに手を伸ばして煽っていたところで、望海さんはきほちゃんに払いのけられた手をのばしてがしっと掴む。男役コーラスというのも勢いを増幅させる一因か、歌詞の破裂音のあまりの勇ましさが圧巻の一言で済ますにはややおもしろいのだけど、そういう考えも迫力に蹴り飛ばされる。しかし失速ゼロのまま、真っ赤なライトの中に這いつくばって手を伸ばす表情のいやらしさよ!

ねこロケットの流れは、鍵盤のセットとロケットの子たちの猫耳がリボンなところにおっしゃれー!とわくわくした。鍵盤の階段を先頭で降りてくるはおりんが、振り返って他の子たちに合図する時の拳をくるくるとまわす手つきのかわいさ。さきちゃんとひらめちゃんが銀橋に躍り出るときのロケットの端と端の子たちの手つきも。ひらめちゃんがさきちゃんに絡み出すところの音楽があまりにコンガのランランラン!のらんちゃんの時と同じで、これはもはやわざとかなと思ったりしつつ。

タンゴの望海さんのタキシード、眉間のしわとシケを常食として生きる。
宝塚のショーのひと場面ひと場面にそんなものを求めるの野暮だってわかってはいるんだけど、何度見てもアビシニアンのような女(??)を探し出すまでの展開が謎。スポットライトに照らされたあーさなぎしょはこのショバ(古い)の2トップで、のこのこやってきた望海さんのお手並みを拝見したいのか。男役たちにガンガン追い詰められて発奮して「おれだって!踊れるんだ!」とダンス対決の流れになっているのか。あんまりよくわかってないけど、最高に調子に乗ったキメ顔あーさとなぎしょに肩に腕をかけられ困ったように眉根を寄せてからの(神ショットが写真になった)男役らに担ぎ上げられ(腰担当おうじくん)、タイほどき(1回目)(2回目)の流れがたまらない。
きほちゃん登場後の、ようやく、と言いたげな自信に満ちた顔つきももちろん、彼女から視線は離さぬまま、ほかの娘役に翻弄され続けているときの切なげな表情がいい。ふたりがようやく向き合えたときの、交差する照明がそれぞれを照らしているのも舞台全体を引きで見たいとても好きな構図。
ダンスの技巧を判断する目が肥えているわけではないので、個人的にはタンゴの大技より、宝塚ナイズされたタンゴの2人のコンビネーションが好き。切れ目なく組み合わせた振りのスピード感にどきどきするより、合間合間に交わされる視線やポーズのキメに目がいってしまうファン。締めくくりのソロのため込んだ力を一気に爆発させるような声量、音圧に、これと決められた音程をブレずに出すにはその音を的確に支えておく筋肉がいるんだろうな、なんてことを考えていた。歌がうまい、という言葉の内訳、必要なパラメータの細かさについてはまったくの無知なのだけど。

ヒョウ柄あーさと雪娘ギャル
圧倒的に平成生まれ(すみれコード)が多い布陣で90年代みたいな場面をつくるなんて大介先生…!と思うけど、オラオラしてるあーさとギャルが終始楽しそうなので見ていて楽しい。掛け声の勢いが日増しに激しくなっていって、照明がついた瞬間に椅子の背に張り付けられたことがいく度か。若干ジャスコで流れてるアレンジ風なのが気になりつつもくせになる音楽とともに。

ねこまつり!
組子が銀橋をどんどん渡っていくのも、トップスターがそれに混じって同じ振りをするのも好き。うたのおねえさんおにいさんめいたほがらかテンションの雪組子の間に、時々大きく背中がくくれたあやしげな様子のねこ(?)が入り混じるようになって、大トリに赤いぎらぎらフリル衣装の望海さん!きほちゃんの手で持つタイプのねこの仮面も、望海さんの手が空くタイプの装着式ねこの仮面もかわいい。
宝塚でよくある段々フリル付き衣装は、袖タイプも足裾タイプもそこまでぐっとこなかったんだけど、この場面の真っ赤なスパンコール衣装は好きだ。 羽根一本がシュッと立った、額に一粒ビジューが垂れ下がるバンド(衣装小物の名称にうとい)が似合ってると思うのもある。

やたらとニャーニャー鳴くようになった下手花道でのキメ後(仮面の奥の左眼のギラつき!)、この間は私が繋ぎます!とばかりに間髪入れず袖から飛び出してくるきほちゃんの頼もしさは最初の勢いだけじゃない!繋ぎだなんてもったいないくらいの押し出しと、はじける歌声のすがすがしさに自然と手拍子したくなるソロ。あんなになめらかに身振り手振りしながら歌えるなんてなにかの魔法かといつも驚く。見た目と声の躍動感、のびやかさが比例しているのが、目にも耳にも楽しくて、途中で指差しウインクまで混ぜてくるから油断が全然できない。
全然休まらないきほちゃんのあとに、もっと休まらない場面がやってくる。

4びきのねこwithねこキング
クッション付きねこベッドに気だるげに寝そべってるところからの、上半身を起こして坐り直し。後ろの鏡に映った姿が見られる角度の席に座れたらラッキー。足を下ろして腰掛けたままの前傾、うっすらとした笑みと目つきの、おれに抱かれたいのはどいつだ、みたいな余裕のしっとりムードに慄く。決定権を握っているのはおれだけれど、おれが腰を上げるのはおまえが望んだからだというように、最初からガツガツはしないスロースターター、相手の求めに応じてどんどん大胆になるいやらしさ。
そもそもその真ん中の人に絡むのが、ボディスーツを身にまとって体のラインがぴったり露わな地毛の男役というフェチズムがすごい。端っこが茶色く染まりつつある手首と背中のふわふわのファーも。配色のすごさには慣れてしまった。赤い人(?)を囲む黄緑紫青白!ぐわっとくくれた小麦色の背中がしたたる汗でてらてらと光る様は、見てしまっていいものかとややためらうほどだけど、私がそれぞれのねこさんたちのファンならこれを逃したら次はないぞとオペラグラスをしっかり構える。しかしそちらだけに集中したいのもやまやまなのだけど、真ん中の人の傍若無人ぶりに心を奪われてしまって難しい。類似する場面を見たことがないわけじゃないけれど、毎回新鮮に驚いてしまう。アンダルシアの女短縮版×4みたいな具合でしょ? 年齢制限…という言葉がよぎりつつ、でもここまでやって下品にならないから宝塚ありがとうという気持ちで満たされてしまう。
・どう考えても君にそのお魚はまだ飲み込めませんよ!と周りがはらはらなのによちよちと果敢に立ち向かっていく黄緑ねこひとこちゃんの若さゆえの無謀と余裕。
・紫猫あーさの接近戦に持ち込むばちばち好戦的な態度(口元を隠すキスよりぎりぎりまで顔を近づける方がキャー!となることってある)。
・青猫なぎしょの謎のマダムっぽさ(前髪のせいなのか。友人にバーキン持ってそうって言われてからもうそうとしか思えなくなった)とガートボニートさんが離れていっても「いいのよ…」みたいな包容力(一度振り切ってからもう一度なぎしょの方を見返るので、帰る場所はここなのでは感ある)(激しく強いわあなたの腕、って歌詞は間男ぽさある)。
・白猫さきちゃんのもしかしたらジョアンができるのでは!?と思わせるような背中の汗だくだけじゃない湿気を含んだ色気。薄い髪色と肌の濃さの妙。さきちゃんのほうが背が高いのに、足元に縋り付いてるからってだけじゃなくてなぜだかバランスがよいように見えるのはなんでだろう。首筋にがぶっと食らいついたときの表情を舞台の奥に体育座りしてもっとじっと見てみたいと思いつつ、上半身をのけぞらせたさきちゃんの感極まった表情で想像力の翼がはばたくので十分かもと思う。
4ねこさんそれぞれに味わい深いです。そんな彼女たち相手にガートボニートさん(迷いながら使う名称)は、焦るなよって肩をそびやかして一蹴する。と思ったらちょっとだけ付き合ってあげる、かとすぐ思えば気まぐれに立ち去る。寸止めの連続に焦らされる。ブンブン振り回される様子を見て、安全圏で振り回されている気分になるある種の心地よさ、欲しいものを鼻先にずっとちらつかされているから、触れなば落ちん熟れきった果実よろしく美味しそうに見える。全猫に絡んだ後の全員での総仕上げ、胸からザーッと撫で下げられる振りが暗喩するものを思って倒れそうになる。らんちきパーティか?!(控えめ)銀橋に出る直前の掛け声が控えめ(望海さん比)に低いのも緩急があって好きだ。手の中にグッと握り込まれたハートが帰らない。
しかし前楽のこの場面、めちゃめちゃ構えていたのに、ねこたちと絡む場面で明らかにガートボニートさんが望海さん、なんならあやちゃんよりの笑顔になっていた。終演後に友人とも認識を共有したのだけど、あれは恐らく4ねこ(3?)が示し合せてマイクオフで話しかける内容を取り決めたのでは? という結論に。内容が気になりすぎる。

中詰めからのコパカバーナ
ノンストップ・望海さん
完全に二人の力が拮抗していてどちらも手心を加える必要が一切ないデュエット、気持ちよく歌っている人を見ている気持ちよさ!!交互に当たるスポットライトにもあおられる。自由闊達のびのびねこ2匹。両腕を前に差し出して左右に揺れる振りが好き。この二人が組んでいる時代に巡り合えたことに感謝の気持ちでいっぱいになりつつ、キメウインクまでがコパカバーナです。望海さんのばちこーんと音が鳴ってあわせて効果音が視覚化しそうなウインクも、並んだきほちゃんがかわいいというより大人っぽい色っぽい顔つきよりなのも好きだ。

黒猫のタンゴッ
望海さんがかわいげを前面に押し出す自由気ままなコーナーと理解。とても調子にのっているところが見られます。客席登場も初めの方はおとなしかったのに、後半にゆくにつれて、もう入った瞬間から勢いがすごかった。ニャニャニャニャーーー!!!
銀橋下にくるまでまったく見えない2階席に座ったときは、舞台上のあーさきほちゃんひとこトリオのわちゃわちゃしたかわいさがなぐさめてくれる。きほちゃんの黒いお耳付きウィッグとピンクのふわふわスカート姿がめちゃめちゃ好みだった。ひとこちゃんのよい子風前髪もかわいい。
色んなアドリブを聞いたけど、夏の思い出はずっとここ(劇場)にいたから作れていない(公演が思い出では!?というファンの声)、きほちゃんたちへの無茶ぶりからの逆襲・小公子→トート閣下→ガトえもんの3連続が特に記憶に残っている。プーさんは早く諦めて!とはらはらしつつ、果敢にチャレンジするこりなさがかわいいと思ってしまうだめなファン。
ラスト上手花道でのキメ顔に、ファンシーガイでの、あたしが一番の美人よ!と言いたげな場末のクラブの歌い手が、ピンクのファーを振り回しながら銀橋を渡る替え歌マック・ザ・ナイフを思い出しつつ。

キャット・ビオレンタ
中塚先生のトランポリン必須みたいに勢いよく跳躍する群舞の体力消費を思いつつ、とても動きやすそうだけどこの柄のこの衣装が総新調って宝塚…!?とうなる。とんではねて大地に感謝するねこたち。神々しさがすごいアカペラの主はソバージュのほうがより好きで、白い衣装は大成功です!!今日裏切られても明日いいことがあるって歌詞は”裏切られる”のインパクトがでかいので、そんなに気軽にいい話みたいにいい声で歌う!?と思うけど、丸め込まれる荘厳さがある…。
せり下がる握りしめられた指先をいつか思い出すと毎回凝視。(花NEW WAVEで望海さんがいっていた叶えたい夢はせり下がること!)

のんすとっぷ・6分
まるで翻弄されているかのように、望海さんの動きに合わせて仰け反り寄り添い歓喜の表情をつくる娘役さん肩の身のこなしの巧みさに感嘆しつつ、さらに大勢を手玉に軽々とっているように見せる望海さんの余裕綽々の表情の憎さといったら! 紫スーツにハット、赤いサッシュの色合わせセンスが有りか無しかの判断はもうできない。上下する肩や、ハットのつばが落とす影に隠れて見えるか見えないかの左の眼光の鋭さに全部奪われる。両腕を前に差し出して交差させて、背をのけぞらせて首をぐるり、腰骨の前で手をひらめかせる、顔のまわりでフラメンコの手つきetc。腰を落としてがっと脚を開いた、重心が低いポーズにだいたい悩殺されている。俺のマグマがとはまた別の大変な歌詞を歌わされるさきちゃんの苦労(今夜だけは抱いてやるよ!)毬突きorごみを拾うor香箱座りのねこに背後から近寄っていってそっとぽんするみたいな振りも好きです。
デュエットダンスでは、ぐっと引き寄せる振りも、きほちゃんとすれ違いざまに身をくねらせるときの口をぱかっとあけた笑みもツボ。

しかし、舞台を降りたらイケメンしぐさはできない、したくないひとなのに、なんであんなに娘役や相手役に向ける目つきに「おれの女」への執着や情念が見えるのか。雄々しいのか。各娘役さん方、きほちゃんへ注ぐ視線にぞくぞくしつつ、この表情や仕草を安全圏でこんなにじっと見ていられる第三者でよかったと心底思う。相手役への温かみがある、見ているよ、というような表情ももちろんすてきだけど、切れ長な眼を活かした鋭い視線に紐付く情念もどんどん見せてください!!

そして体力をギリギリまで振り絞っている望海さんが掛け声をあげる姿をぐっと息を詰めて見つめながら、これは私たちと同じく生きている人がやっているんだということを確認しに何度も見に行ってしまうんだなと思う。東京公演何度目かの観劇で、これを6分ノンストップはさすがに酷では!?と思う回があったけれど、後半になったらあれはなんだったのか?というくらい安定感が戻っていてびっくりした。歌声はもちろん大好きだけど、それは舞台にいる人が客席に思いを届けるやり方、表現の仕方が好きという意味なので、ダンスに感情をのせる、ダンスで表現する望海さんがこんなにたっぷり見られる公演だったことにもありがたみしかない。

 

センターブロック前方で観たある日、あまりにもくっきりいろんなものが見えたせいか、いつかやってくる、もう二度とこの舞台に立つ大好きな人が見られなくなる日のことがあまりにも実感を伴って想像できてしまった。こんなに楽しく明るく、叫び声とカラフルな照明がまわるパレードでなぜ、と思うくらい感情がこみ上げてきてしまって、たくさんの先人に心構えについて教えを乞いたい気持ちになった。そのままのものをとどめておくことは誰にもできない、演じている人のところにすら永遠にとどめておくことはできない、という種類のものだから好きで、だから仕方のないことではあるのだけど。そういうことを考えていると、私たちの毎日だって同じように過ぎ去っていくしいっさいは失われるものよ、みたいな壮大な話に広がってしまいそうになる。
記憶に刻み付けるしかない一瞬の連続を目撃しに、劇場に足を運んでいる。