TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

5〜6月観劇その1

花組BASARA千穐楽おめでとうございました!
花組オーシャンズ11で力尽きたと思いきや、しっかり色々観ておりました。
6月後半怒涛の連日観劇を終えて、しばしの休息期間です。













ブッダ 5/8ソワレ
あの分量の原作を2時間弱にまとめるのはやはりむずかしいのかなと思いつつ、役者さん方の熱量をひしひしと感じる作品でした。
お目当ての、役としてのいしいさんはそれこそ2011東宝RJ以来だったのですが、彼のルリ王子は想像以上にしっくりとはまっていらしたなと。
鮮やかな青い薄い布でできた引きずるほどの長さの、裾部分と真ん中一直線が濃い躑躅のピンクに染まったマント、同じ青の光沢がある生地のお腹が出るくらいの丈のタンクに、腰から下は厚手の白い布をまいている、といういで立ちもさることながら、それ以上に自分の母が奴隷とわかったとき、嘆きと怒りで額から突っ伏してからの、顔を再度あげたときの表情の変わりぶりに、ああ、と胸がざわざわするのを抑えきれなかった。なぜ彼はああいう役が似合うのだろう。母親を見殺しにするときの、舞台奥に佇んで高みから見下ろすルリ王子が、どんどん嘲るような笑みを浮かべる姿、ついに裂くように口を開けて哄笑したと思ったら、それからじわじわ笑顔が消えてまんまるの目が潤んで子どもみたいな表情になるところ。けれどまたくちびるを斜めにひん曲げて笑う。どんなに見下したところで、彼らと等しく彼自身も自分の人生に悩み苦しんでいる様子が手に取るようにわかる。俺はなぜ生まれた?という言葉の訴えかける重みは、彼のどこからくるものなんだろう、と考え込んでしまった。ルリ王子スピンオフが見たいです。


アジア温泉 5/22ソワレ
「苦しみや悲しみは人間が生まれ持っている。でも笑はひとの内側にないものなので、人が外と関わってつくらないと生まれない」
「人間の最大の仕事は、悲しい運命に瞬間でも対抗できるようないい笑いをみんなでつくりあうこと」
メモをとっていた井上ひさし先生のお言葉を、この作品を見て思い出した。
一緒に混じって踊り出したくなるような祝祭の日と色彩の洪水。見終えたあとに潮がひくように消えていったように思えても、それは頭の中の記憶の砂になじんでしまっただけで、またしばらく間をあけるとふっと満ちてくるような作品だった。ヒバリちゃんがなきがらにすがりながら、一番目がだめなら、二番めの幸せはなんだっけ、三番めは?全部あなたと一緒にしたいことだった、とわんわん泣くシーンが、思い出すたび、りなジュリの、ロミオ、ロミオ、夢が叶うのよ、に近しい苦しさを帯びていて喉をゆるくしめられたような気持ちになる。彼女が涙にぬれるそんな日も、サトウキビ畑の上を風は渡っていく。
連綿と続くものを絶えさせてはならないという気持ちと、ぶち破りたいという気持ちはどちらも矛盾なく私の中にもあるもの。こういう作品を見ると、つながってゆく世界に与することを諦めたくなくなって、それは自分の信条にほんとうに反するものなのかと、いまいちど確かめたくなる。たくさんのものが交差しているただ一点、というようなところにずっと立ち止まっていたい気持ちと、一瞬だけ佇んですぐさま走り抜けてゆきたい気持ち。全く知らない世界でなく、自分の部屋にある開けたことない扉をふと気が向いてあけてみたら、なんだここはこんなところにつながってたのか、みたいな世界だった。
ソンハさんの踊りを見ながら、あの心地よい声で紡がれる歌をずっときいていたい。


黒執事 5/23ソワレ
漫画原作ミュージカルを見るのはもしかしなくてもテニミュ以来。So coooool!!なふりして懐にいれた相手にはどこまでもやさしいらちエリ先輩を、そんなの一番最後に詰めが甘くなるやつじゃないかと思いつつ見ていたらやはりそうでした。君がいなければなんの価値もない世界、という究極の視野の狭さで生きているひとの周りの見えなさ生きづらさは、2〜2.5次元であればとても好き。誰かを救いたいという気持ちに入り混じる欲のさじ加減についても。
おなじみACT2階最後尾列から見ても、高さを使ったセットは舞台からの距離をそこまで感じさせず、視覚が華やかで面白いなあと。教授以来のひでさんは、彼の本領発揮とばかりにかなりのきわものキャラをいきいきと演じられていて、見ていていちばん楽しかったです。


さよなら西湖くん 5/26マチネ
ある集団が、10数年の時を経て大人になって集った時に、はじめは雑談に徹してていたのに、昔馴染みだけどかつても今も異分子だった人間があらわれて波紋を呼ぶことで、かつてからあった問題が顕在化してく、みたいな話が好きです。具体的な説明台詞ではなく、他愛ない会話のなかに織り込まれている言葉を自然と拾って繋ぎあわせていくと見えてくる背景。
部室に現れただけで、はきだめに鶴、を体現する秋山さんの西湖くんの説得力といけすかなさ、彼に複雑な思いを抱きつつずっとバッテリーを組んでいたことをさらけだしてゆく春川のナオくんの、いままでに彼が演じた役が放っていたのとはまた色の異なる感情に、主に眼を、心を奪われていました。秋山さんの体型がモデルだからとかだけではなく、良くも悪くも浮いている、異物感が出ていてキャスティングの妙、と思ったし、一方春川はあのごちゃごちゃとした部室で地元の同級生らに囲まれててもしっくりと馴染んでいる地に足がついた感覚。劇団EXILE華組で彼を見ていた頃から、重ねた歳月を確かに感じました。
自分が放った言葉や行動の言い訳をとことんしないってことは、それを相手にわかってもらわなくてもいいって思ってることだよ、潔いのではなく相手の気持ちを考えてない、どうでも良いと思ってるってことでもあるよ、と問いかけたくなるような西湖くん。そんな彼にしてしまったことを全部ひた隠しにして、でも ずっと覚えていて、それでも彫刻みたいな顔して彼のボールを受け止めていたナオくんが、自分の罪に簡単に許しを与えられてしまった時の心情を推し量って、 ハンカチきりきり引き絞りもしました。深いところまでさらってない表面上の承認は、中途半端に与えられる腹立ちで、心が宙ぶらりんになるだけ。
そんなナオくんに、西湖くんがお綺麗な顔して口に出す言葉ひとつひとつに、喧嘩売ってるわけじゃないのはわかるけどなんでそういう口のきき方しかできないかな、かわりに首しめたろかって思うくらいイライラさせられつつも、高校の頃にしたナオくんすら忘れている約束を大事に覚えていて、それを果たすためだけに里帰りしてきた西湖くんはあんなしれっとしたツラしといてなんてかわいいんだ!とも思ってしまった。全部さらりと受け流してたと思っていた彼が最後にあんなことをいうから、全部くるっと逆転してしまって、ほんとうに執着してたのは西湖くんのほうだったんじゃないか、と観てる方はああ、となったけど、それはナオくんにどれだけ伝わっただろうか。最後のキャッチボールの場面のあの余韻に、恐らく全部が込められている。
描かれてる役が全部等身大だからこそ、誰かから誰かへの言葉や行動が実感をきっちりと伴っていて、身にしみるように堪えることがあった作品でした。