TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

ジェーン・エア 10/8ソワレ、10/20マチネ

初演は拝見していないので今回の再演が初見です。

劇場に足を踏み入れた瞬間に、草木の豊かに茂る舞台セットに一目で心をぎゅっと掴まれてしまったのですが、観劇中、実際にその舞台美術と、時々のジェーンの心象風景を描くように背景のスクリーンに映し出される光もあわさって、シーンシーンが一枚のうつくしい絵のように思えました。

ジェーンの隠れていた屋根裏部屋のなか、学院内、ローチェスターのお屋敷、ソーンフィールドの曇天の空の下、もともとの舞台美術の開けた自然はそのままに、その時々でセットを置き換えて室内外の場面すべてをスムーズに、舞台上に呼び起こしてゆきます。カラフルな照明が目まぐるしく交差するでもなく、この作品ならこの曲、というビックナンバーがあるわけでもなく、全編通して舞台上は常にほの暗く、曲も朗々と歌い上げるような雰囲気のものではないのですが、だからこそ、穏やかに観ながら、ひたひたと、じっくり内容が心に沁み込んでくる感じがとてもこころよい作品だなと感じました。
一見真っ白な木綿のハンカチだけれどよくよく見ると白い糸で細やかな刺繍がしてあるような、そんな舞台だと思います。
原作がもとから草花、鳥の描写で溢れているからかもしれませんが、色あせたサクラソウ、雷で真っ二つに裂けたトチノキ、花壇に咲いたバラ、日の光を浴びた木の陰に咲 く名もない花、ソーンフィールドの夏に繁るニガヨモギ、ヘレンのお墓に備えられたユリの花一輪、どこまでも入り込んでくるツルバラ等々、台詞にさりげなく織り込まれているそうした表現がとても印象深く効果的で、舞台セットともしっくりきたなと。飛び立つ日を待ち望むジェーンの心をさまざまな鳥にたとえた表現も。


松さんのジェーンについて。
舞台で松たか子さんを拝見するのは初めてだったのですが、凛とした佇まい、芯の強さに裏打ちされていることがひしひしと伝わる行動力、立ち振る舞いが本当に素敵なジェーンでした。白い襟がついた黒い質素なワンピース、きちんと乱れなく結いあげられた黒髪には華美さはないけれど、逆にそこを抑えても見た目にとらわれずにきちんと伝わってくる松さんのジェーンの魅力ってなんなのだろうと考えてしまいます。しゃんと背筋を伸ばして生きているひとであることは間違いないと思えるのと同時に、地中にある妖精の国からきたんだろう?と初対面のローチェスターが気のきいた冗談半分話であろうとたずねるのもなんだか納得がいってしまう雰囲気も。
柔らかいけど強くてどこか中性的、あの声の響きも含めて。そんな声で歌われる決意を「秘めた力」や、時刻を告げ、ジェーンの行動を示すときに繰り返しなぞられるメロディがとても好きです。1幕ラストの「秘めた力」は「ああ神様こたえて 私に何ができるか」となすべきことを悩み、高い存在に答えを問いかけている歌のようで、松さんのジェーンの歌い方からか、もう彼女自身のなかに秘められている答えを、歌声と共に自ら導き出す歌のようにも思えました。
フェアファックス夫人に案内され、はじめての自分の部屋を見たときの控えめな、けれど確かに喜んでいることが伝わる仕草、ローチェスターの放っておけなさに思わず跪いて自分の身を捧げますという言葉が口をついて出てしまった姿、学院の生徒たちとお別れする時に、片手に鞄を携えたまま、もう片腕をめいっぱい使って一人一人にハグをしてゆく場面も大好きです。スカート、コートの裾の翻しよう、ちょっとした仕草、身のこなしにはっと目がゆく松さんのジェーン。

小さな十字架が立ったお墓のセットを移動させるとき、確か学院の生徒か先生があのセットを持ったままくるりと身を翻してはけてゆくところで、ふわっと広がったスカートの裾からちらっと白いペチコートがのぞくのがとても好きだったのですが、そのとき同時に舞台中央では「古びた考えは壊してゆこう」とジェーンが歌っていて、彼女が秘めた意志、大空を飛ぶ鳥のように翼を希求する心を打ち明けるのと呼応して、彼女らが軽やかに飛ぶ鳥を表してるようにも見えました。実際はあの場所にとらわれているひとたちに違いないのですが、あの場面転換の仕方がとても素敵だったなと。


そして対するさとしさんのローチェスターさんのだめだめっぷりと言ったら!妖精くん、僕の慰めの天使等々、そんな歯の浮くような言葉を並べ立てられてしっくりきてしまうひとってそうそういまいよと某クリスタルの天使を思い浮かべても思ってしまいます。扱いづらい気難し屋、皮肉屋。けれど対人関係においての言動の乱暴さの影に潜む繊細さ、些細な軽口もウィットにとんでいることから伝わる知的さ、イングラム嬢との結婚をほのめかせてやきもちを焼かせる予定がうまくいかず、ジェーンがはなれてゆくぎりぎりになって、結局自分から暴露してしまう詰めの甘さは、結局彼という人間としての、思わず手を差し伸べずにはおれない放っておけなさに確かに繋がるのが憎たらしいところです。もちろんローチェスターという役として。このひとのそばには私がついていなくては、とジェーンが思ってしまうのも無理はないし、長い間多くのものを疑いつつも、心の奥底で確かに本物の、信じられるものを希求して生きてきたであろう彼にとって、ジェーンという存在がどんなに救いだったかと考えると、素直に祝福したい気持ちになりつつも、松さんのジェーンのようなひとと巡り会えたローチェスターさんがなんだかうらやましいような気もします。とても余談。


こにたんのシンジュンについて。
他の2役もさることながら、彼は自分の信じているものにまっすぐで一ミリも疑惑を抱かない、頑なすぎて朴念仁、という役がなんて似合うのだろうと思いました。ジェーンへの愛はないと言い切る正直さある意味での真摯さが2度見てやっぱり好きだなと。ジェーンが一緒に神につかえることができるか見極めるための3ヶ月ってあなた、と思いつつも、夫婦としての愛を育む相手ではなく仕事上の最良のパートナーとしてジェーンを選んだ牧師さまの判断はかなり正しいとも思ってしまったのも大変個人的な意見で恐らく余談です。
シンジュンのいう、あなたのために毎日祈ります、は彼の職業柄、という以前にキリスト教基盤がある国のひととしては、お花に毎日水をやるくらいのことなのかと思うけれどなぜだか好きな台詞。この場合の祈る、は思い出すこと、気にかけることと同義かなとも。

しかし彼がいなかったらリード夫人との再開もなく、さらにインドへ共にゆくという決断を迫られなければジェーンはローチェスターのもとへ戻ることもなかったかもしれません。学院時代、唯一の親友であったヘレンに「あなたは人間の愛を信じすぎるわ」もっと高い存在にそれを求めるの、と言われ、反発しつつもじわじわとその教えを頭だけの理解ではなく自分の感覚として身にしみこませ、神に祈りを捧げるようになったジェーンですが、シンジュンとともにゆくかそれとも、となった際にローチェスターを選んだ彼女の自分の決断に矛盾はなかったのだと思うと、信じるとは、ということについて深く考えたくなります。そして「ゆるす」とは。



ラストでアデールを抱き上げてくるりとまわるジェーンの軽やかさに、リトコゼとバルジャンを見る。