TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

ルドルフ・ザ・ラスト・キス    7/14ソワレ、16マチネ








7月は博多座エリザでよかったなあ……舞台の神様ありがとう、とつぶやいた口で、ルドルフとスリルミーを同じ月に上演させるなんて、神様はなんてひどいことをなさるのかしら……と天を仰いで嘆いている今日この頃です。1度しかこない2012年のこの夏に、観るべきものが多すぎて頭を抱えています。たくさん観るだけ観られればいいというものではなくて、それをよく咀嚼して消化するだけの脳みそもきっと複数必要なので。出会うべくして出会いたいものは、ひとつひとつに時間をかけて向き合いたいのに、7月はたったの31日です、嗚呼!
7月はスリルミー専念月間になる予定でしたが、ここにきて7/14ソワレ、16マチネに観劇したミュージカル『ルドルフ・ザ・ラスト・キス』に心を持ってゆかれてしまいました。博多座と帝劇と銀劇に魂がそれぞれちぎれて旅立っていったので、恐らく今本体にはいくらかも残っておりません。悩み多いですが、きっと幸せな悩みです。
以下はルドルフについての感想です。ずっと覚えておくために、どこかに焼きつけておく為に書き記しています。





【舞台セットについて】
中央の円と、そのまわりをぐるりと囲むように別々の向き、速度で回転する2種類の盆、場面展開ごとにするすると上下左右から迫って登場人物らを四角く切り取ったり、逆に空間をぽっかりと晒したりする役目を担う幕、中央に垂れさがり貴婦人がドレスの裾をゆらしてふわりと踊るように揺れ動くカーテン、赤で埋め 尽くされた舞台はほんとうにうつくしく、数日経ったいまでも思い出してため息が漏れるほどです。2種類の盆に乗ったふたりが舞台上手と下手から近づき、擦れ違ってゆくシーン、場面が展開し、ターフェが策をめぐらす執務室が前方から後方にくるりとまわりこみ、入れ替わりに火を付けられた新聞社が、燃え盛る炎の照明とともに後方から前方に現れてくるシーン、セットが効果的にはたらいて目を奪われた箇所をあげてゆけばきりがないです。
そのなかでもセットが効果的に使われている、または視覚的に目を奪われてしまい、特に繰り返し観たいと思った場面についてを記しておきます。

○美しき戦争
舞踏会が戦場ならば結婚相手は捕虜、と軽やかに言い放ち、相手を陥落させるまでの手練手管指南をするマリーの友人、ラリッシュのナンバー『美しき戦争』は胸がざわざわするほど好きです。日よけのパラソルが、マリーとラリッシュのやり取りの最中、閉じればフェンシングの剣になり、広げて皆でくるくる回しながら迫れば品物を届けにきたボーイさんを翻弄する武器にもなる。彼をぎゅっと絡め取るためのロープが太い深紅のリボンであるところも。なによりぐるりとめぐる盆のおかげで、開閉式の鏡がはめ込まれたセットがメリーゴーランドのようにまわるところ。ドレッサールームがまるで宝石箱のように見えました。もちろんそこにしまい込まれたルビーやサファイアアメジストやダイヤモンドはコルセットにレースをたっぷりあしらったズロース姿でいきいきと足を振りあげる彼女らであり、マリーやラリッシュでもあるんです。ここに限定する話ではなくとも、中央のテーブルの上を陣取ったラリッシュのウエストをきゅっとしぼって後方にひだを寄せたバッスルスタイルのドレス、そのスカートを裾を乱すことなくさばく彼女の着こなしぶりがとてもじっくり味わえる場面でもあります。事前にこのシーンを友人からおすすめされていたのですが、実際自分自身で観劇してあまりの好みさにときめきがとまりませんでした。パラソルを指揮棒に構えてリズムをとりながら口ずさみたくなるような勇ましいメロディも込みで!大好きです。

○マリーとルドルフが出会う舞踏会
人生が三拍子なら!長い引き裾をさばく為に先にループをつけて手にはめるようにする、という工夫を施されたことをげきぴあの記事で拝見していたので、いったいどういうふうになるのだろうとわくわくしていたのですが、舞踏会のシーンでは特にその工夫が有効活用されていたように思います。深い青いドレスの女性陣が、男性陣にリードされてくるくると踊るシーンでは、ただただドレスの裾さばきをうっとりと見つめていました。中央あたりで男性が頭上高々とリフトした女性をくるくるとまわしていらして、舞踏会の優雅なワルツというより、かなり視覚的にも高度なテクニックを必要とすることがわかるようなアクロバティックな動きに、別の意味ですてき……!と感嘆しながら見つめていたペアの方々もいらしたのですが。
美しき戦争でも言及しましたが、きっと見た目以上に扱いが難しいであろうバッスルスタイルの長い引き裾を優雅に観客に見えるようさばく様、たとえばマリーの、ベンチに座る仕草ひとつにとっても、くるりと身を翻して裾をうまく巻いて腰を降ろす、というその一連の流れるような動きがもうため息ものなんです。ドレス自体も、シャンパンゴールドや、深い青、全体的にシックな色合いが、上品で味わいぶかく、自己主張の強い色みでないぶん、逆に舞台の赤にとてもよく映えて素敵だなと。
このドレスや、裾さばきへのあくなき執着心は、きっと舞踏会を夢みて一生を終えた灰かぶり、もしくは自分では着ることのないドレスをひたすら縫い続けたお針子さんの生まれ変わりであるせいなのだと思いこみたい。

○手の中の糸
2幕冒頭で唐突に舞台上から下りてくる、ロープで首を括ったルドルフの姿に度肝を抜かれる場面ですが、前方、ッドの上で恐れおののくルドルフを追い詰めるターフェとフランツの図が展開されるなか、途中から舞台後方に黒いドレスを纏い、短めのスカートからガーターストッキングを覗かせた女性、黒いスーツの男性らが皆一様に黒い、喪に服す貴婦人が頭にかぶるヴェールにも似たマスクですっぽりと顔を覆って登場し、一糸乱れぬタンゴを踊るシーンでは、その動きにも彼らが纏う黒と、舞台上の赤との対比にくらくらしてしまいました。赤は気品と凄味を兼ね備えた世界で一番美しい色だし、そんな赤との取り合わせを1色選ぶなら、といま問われれば、迷うことなく黒と即答してしまう。



【物語について】
『ルドルフ・ザ・ラスト・キス』というタイトルを知った際、皇太子ルドルフが主人公で、ヒロインはマリー・ヴェッツェラということなのだろうなと思っていたのですが、今回2度目の観劇後に、これはルドルフとマリーがW主人公の物語なのかもしれない、と考え込んでしまいました。それほどに、和音さん演じるマリー・ヴェッツェラという少女が魅力的だったんです。ひとつの思想を高く掲げて、新聞投書記事に紡がれる、志を同じくする顔も知らぬひとりの男、ユリウス・フェリックスの言葉に心酔し、憧れを募らせる娘。自分がこうと決めたものはなにがあっても曲げず、貫き通すマリーの姿勢、その潔さ格好よさ、強さにただ見とれておりました。まだそんなに数を観ていない人間ながら、今まで観たミュージカルの女性が演じる役のなかで一番にずずいとあげたいくらいに好きです。あなたの背中は私が守るわ!と言い放てるくらいの強さ、対等さを持った女の子。
友人ラリッシュの導きにより、舞踏会で、同一人物とは知らぬまま、憧れているユリウス・フェリックスの言葉を知る人間、皇太子ルドルフとマリーが出会うシーンは、それまで何も知らぬものが運命的に出会い、互いの目を見ただけで惹かれあうような恋もミュージカルに描かれる物語として素敵だなと思いつつも、それらとはまたまったく違った感動を覚えました。他に周囲に理解者がほぼいなかったふたりが、互いが唯一無二の、自らの掲げる思想の理解者になるという、なによりも強固な導きで結びつけられるその道筋をすっと浮かべることができるという意味で、すごく納得がゆくなと思ったので。ただのロマンスじゃない、の意味をここに見出してしまう。魂のかたわれ、半身であるふたりが出会ったような。
1幕ラストの二人を信じてや、2幕ラストでの、実際目の前で繰り広げられる行動以上に、マリーのルドルフを包み込む様なあたたかさがじんわりと伝わるような場面にて、母性という言葉は、本人の意思とは無縁のところで他人から背負わされるものにしか感じなくてあまり得意でないので、ルドルフ自身や彼の大事に掲げた思想は私が守りぬくと、蹲る彼の背を優しく抱くマリーの強さ優しさを何か別の言葉で現したいなと強く思いました。両方のシーンとも、マリーを見つめるルドルフを演じるよしおさんが、今まで観たことのないような泣き笑いの、でも素敵な表情をしていらして、マリーとルドルフのふたりに特別なものを感じてしまったから、ということもあります。
場面展開が前後してしまいますが、2幕終盤で突然言い渡されたルドルフとの今生の別れに、それ以上に彼からの手紙の言葉に、ソファーの上で蹲って泣いている時ですら、和音さんのマリーから感じるのは脆さや弱さでなく、気高さ、強さ美しさだけで、それってなんなのだろうと。かわいいし格好良いだなんて無敵だわ、と。実際は側にいないルドルフが彼女の心に寄り添うように、そのそばに佇む姿のあたたかさ、やさしさも相乗効果をうんでいたなあと思います。

終盤のそんなマリーとターフェの対決は、手に汗握りつつも首相と対等に渡り合い、ソファに押し倒しすらする(!)マリーの勇ましさ格好よさに惚れ惚れするシーンなのですが、一方マリーとステファニー が対峙する教会のシーンは、交わした言葉で相手以上に口にした自分も傷ついてしまっているような痛ましさが先に立つシーンだったなと思いました。けれど目は背けられないんです。
ステファニーという正妻がいながらマリーと不倫をする皇太子ルドルフ、とこの物語を記してしまうと事実ながらどこか歪曲させて語られている気がする、と首を傾げてしまうくらい、そういった物語にありがちないやらしさを感じなかったのは、マリーとステファニーふたりの女性を演じる、和音さんと吉沢さん、ふたりの演者さんの舞台上での生き方によるものじゃないかと思います。そんなふたりのやり取りから、個々の在り方が一番よく透けて見えるシーンが、前述の教会で二人がはちあってしまう場面です。
初見では、マリーが、なぜ私をそこまで憎むのですか、と絞り出すようにステファニーに言葉をかけるその切実さ、残酷さにはっとしてしまったのですが、2回目の観劇では、、あんなにウィットに富んだ会話ができるような賢いマリーがステファニーの意図が本気でわからなくて問いか けているとは思えない、ステファニーが淀みなく紡ぎ出す言葉から受けたダメージにより、思わず動揺して口走ってしまったのかもしれない、と思うようになりました。吉沢さんご自身も7/16のトークショーで仰っていましたが、マリーの頬に手を添えるステファニーの図が私もとても好きです。自分がかつて持っていた今は喪ってしまったもの、はなから持ちうるはずがないものを全てそなえている娘を、恨みつらみだけではなくある種の感慨をもってしげしげと見つめる場面。あからさまな嫉妬の炎をマリー自身にぶつけたら、自らにかえって逆に焼き尽くされると、聡いステファニーは悟っているのだと思います。「あなたを、愛しているから」と口に出したくない真実を、声を詰まらせながらも自分に言い聞かせるように身に落とす、彼女の気丈さ、矜持はなんて美しさをにじませるのだろうと。ルドルフがいなければ別の形で出会って友人になれたかもしれないけれど、ルドルフがいなければ出会えなかったかもしれない二人。
シチュエーションもなにもかも全く違うのですが、このシーンではふとエリザのヴィンディッシュ嬢のシーンが浮かんでくるような気がします。

改めて全体を思い返して、ルドルフやマリーはもちろん、ステファニーやラリッシュもやはり、プライドが高いというだけでなく、魂が気高い人なのだなと、『ルドルフ・ザ・ラスト・キス』はそういう誇り高い登場人物ばかり出てくる舞台なのだと、そう思いました。


二人が選んだ結末についてのやりきれなさや、そのほか色々な考えを巡らせる為、あの舞台のうつくしさを網膜に焼き付ける為、なんとしてでもまた帝劇にゆきたいです。ゆきます。