TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

サンセット大通り 7/1 東京千穐楽



東京千穐楽にしてサンセット大通りを初観劇してまいりました。
昨年のBWML2011で今井さんが歌うメインテーマのサンセットブールバードを聴いたのがこのミュージカルの楽曲に触れた最初の機会でした。次に手に入れたかずさんのCDに収録されているものもまた歌う方や訳詞が恐らく違ったせいかずいぶん異なる印象を受け、そして今年のBWML2012では上演に先駆けてまりおくんが歌ったこの曲が、それまでのややゆったりとしたイメージとはがらりと変わった、テンポの速いよりドラマチックな印象、奔流にのまれてゆかぬよう必死でかじ取りをするような、思わずその旋律だけでも惹きつけられるアレンジ(原曲を聴いていないので、どちらが手を加えたものかは私はわからないのですが)になっていたことに驚きました。そして今回の本公演中でジョーのナンバーとして聴くことができ、LIVE時の、挿入箇所もストーリーもきちんと把握していないながらも惹きつけられていた時以上に、ここに組み込まれてゆくからこういった曲調なのか!と物語の一部としてじっくりと味わうことができてとても良かったです。

そんなまりおくんのジョーを一番の目当てとして観劇に向かったサンセット大通りだったのですが、幕間の休憩時に一番に口にしたのは「安蘭さんのノーマのいじらしさかわいさたるや……!」だったという想定していなかった感想でして。かつてハリウッドで名声を得た大女優のなれの果て、になってしまったことを認めず、今も世間は自分を待っていてくれるのだと信じつつも、サンセット大通りの御屋敷に閉じこもり、執事と二人でひっそりと暮らしているノーマ・デズモンド。落ちぶれたとは言っても、無声映画の大女優で、目だけですべてを語ったわ!と口にするノーマを演じる安蘭さんの目つきがほんとうにそれだけで思わず目をひいてしまうような「物言う瞳」をしているのがわかって、その佇まいとともに、かつての銀幕の大スターという事実を裏付けするのにじゅうぶんな説得力を持っている様に感じました。自分より恐らくふたまわり近くも違う、現実を見つめない彼女の狂気を宿した瞳にうっかり見つめられ「ダーリン」と甘い声で囁かれるジョーの立場になって見れば、彼女はとんでもなく近寄りがたく恐ろしい人であると思うのですが、それでもノーマがジョーに「出ていかないで」や「あけましておめでとう、ダーリン」と縋るところの寄る辺なさ、いじらしさに鳥肌が立って、ああなんてかわいいひとなんだろう、と泣きたくなってしまいました。絶対「怖い」と感じての鳥肌の方が正解だと思うのに、ジョーが思わず手を差し伸べてしまうのも頷ける、なんとも放っておけない人。ノーマのしぼりだすような「嫌いにならないで…」の威力とその意味するところについて深く考えたくなってしまいました。気を張っている姿も、崩れ落ちて縋る姿ももうやめて、と顔を覆いたくなるくらいの痛々しさと人の目を惹きつけてやまない不思議な魅力に満ちた人。この人が落ちぶれるのを見ていたくない、常に光り輝いていて欲しい、貴方は私の一番星だ、みたいに高みに置いてしまう人だなあと。

そうして彼女を高みに押し上げたことについてのいちばんの責任の所在は、ジョーに甘えるノーマの図を、というよりジョーひとりを「憎しみで人が殺せたなら…!」というような凄味のある目で睨んでいたマックスその人にあるのですが。将来を嘱望された新人映画監督だったころにノーマを見出しスターの座へ押し上げたのはもちろん、夫として寄り添い共に生活していたであろう頃をを経て、離婚後、無声映画の時代が終わった後も召使として仕え、彼女が世間から見捨てられたことを悟らせない為に、ファンレターを捏造したり、身の周りの世話を全部自ら買ってでて、大事に大事に真綿にくるむように外界から隔てたことにより、あのノーマ・デズモンドが出来上がってしまったということへの責任。ロマンスグレーをきちんと撫でつけ、ぴしっと糊のきいた執事服を着た、大女優の御屋敷に仕えているに相応しい絵に描いたような姿で彼女のそばにひかえていることも、マックス!とあの声で呼ばれればすぐさま駆けつけることも、ある意味「自分の理想と描いた大女優・ノーマ・デズモンドをそのままの姿でとどめておくため」なわけです。狂気が宿っているのはきっとノーマの瞳だけではない。一度のぼりつめてしまった人にとって下界は見るに値しないというよりもう意識のなかに存在しないものなんだろうな、それをノーマに可能にさせたのは全部マックスのおかげで「マックスのせい」だけれど、と。

高みに押し上げて足元をしっかと支える人と、そこから絶対降りてはいけないと縛り付ける人が同じだったのかな、とノーマとマックスの関係を見ていて思いました。サンセット大通りのあのお屋敷は、マックスが丹精込めて作り上げた、なんてうつくしくも歪な箱庭だったんだろうと。豪奢な階段にシャンデリアにパイプオルガンにタイプライター、脚本は束ごとにきちんと揃えられ、それぞれ真紅のリボンに結ばれて!という視覚的にガンガン訴えかけられる内装や小物も全部はノーマの為にあつらえられたもの、あそこは彼女のお城で王国で、そしてそれらは全部マックスのものでもある。

それでもノーマ自身が女優として望まれている、と勘違いして(実際はノーマの車だったのですが)むかった撮影所での、起用は出来ないながらもかつての大女優として丁重に扱われ、握手を求められ拍手を浴びる姿は、後々の結末を思えば苦しくなるシーンながらも、ほんの束の間、以前の名声を取り戻し自信に満ちたノーマを見ることができ、なんともいえないながら、よかったなあ、と思ってしまいました。

あの屋敷にジョーさえ迷い込むことがなければ、とも思うけれど、ラストシーン、ジョーが拳銃で撃ち殺されたことが判明し、警官が立ち入ったお屋敷のなか、階段上に現れる白いドレスを纏ったノーマが"うわ言"のようにジョーと交わした言葉の数々を幸せそうにつぶやき出す姿には、ジョーとの日々もやはりノーマにとって夢見る様に得難いものだったのだろうと、とても胸が痛くなります。

ハリウッドで活躍する頃は、ノーマのさっと前に差し出した手のひらの上に欲しいものはお星さまだって向こうからほろほろと零れ落ちてきて、ただただ享受するだけでよかったし、その事実で彼女の魅力はより輝きを増していったのだと思います。けれど彼女の想いを遂げさせてあげたかった、とただ思いつつも、自分のものにならないものに焦がれ、身をよじって対象に手をのばすさまが狂おしくうつくしい人でもあると思うので、こういった終わり方でよかったのかしらとも。

マックスのせい、マックスのせい、とひたすら連呼してしまいましたが、上記ラストシーンでノーマを取り押さえようとする警官を、私に任せてください……!と崩れ落ちながら必死で制止し、しばしののち背筋をぴんと伸ばして、「マダム、」映画の撮影の支度が整いました、と最後の嘘をつく姿はなんともせつなく、いじらしくて、彼もほんとうにけなげな人だなあ、と胸にしみいるように思いました。
実はノーマもマックスの工作に気づいていて、それでも気づかぬ演技をしていたとしたら、と考えて一瞬頭を抱えましたが、たぶんそんなことはないのでしょう。


今回は一度きりの観劇でしたが、再演を心から望んでおります。





余談ながらカテコ挨拶にて、安蘭さんの「ひつじのマックスです」というご紹介でめえええと鳴く綜馬さんの佇まいのぴしっと感とのギャップに、なんというお茶目な方だ……とふるえました。その後「裏でそうまさん練習されてたんですよー」「まりおくんばらしちゃだめだろー」というノリで、安蘭さんを挟んでわちゃわちゃもちゃもちゃじゃれ合ってる(ようにしか見えなかった)綜馬さんとまりおくんの男性陣おふたりがとてもかわゆかったです。綜馬さんのフランツはどんなだったのだろう、と今回初めて拝見してとても気になりました。