TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

エリザベート 5/12マチネ 5/22マチソワ その1


一人でも私は観るわ観たい時に好きな演目を!
前から友人におすすめされていたよ、あなた岡田さんフランツ好きそうだね、ゆうたくんが出るよ、のひとに言われたり自分で思ったりしたみっつの言葉が、この演目名を見聞きするたびにぐるぐると頭の中を巡っていたのですが、とうとう5/12マチネに初めて観劇してきました。ここ最近ずっとシシィという女性や、トートという存在、フランツにとってシシィとは、等々、考える日々を過ごしております。単純にトートとフランツはシシィを間にはさんで取り合っていたわけでもないし、シシィはフランツとトート、両者の間で揺れていたわけでもないし、三角関係のお話と捉えるには首をひねってしまうなあ、じゃあどうやって解釈すればいいのかしら、など。

むつかしいことを考えているようなことを言いつつ、あのドレープたっぷりの華やかなお衣装きてワルツのステップでもったり踊ったり、女官の簡素な、かっちりとしたお衣装できびきび一糸乱れぬ周囲と揃ったステップを踏みつつ「ごもっとも!」と鋭く叫んだり、顔に炭つけて足踏みならしてミルク缶地面に叩きつけて皇后への不満を口汚く叫んだり、日傘さして「身が持たない!」とうめいたり、ハンガリーのかわゆい民族衣装を身に纏ってエーヤン!したり、とてもしたいです。昨日はハプスブルク帝国民でもハンガリー国民でもなく日本のふつうの会社員であった自分に気づいてしょんもりしていました。知りたいこととーちがーうだろーーーーキッチュ!!
あるいは大司教様になって岡田さんフランツの後ろで目をむきながら十字を切りたい。皇帝陛下〜は〜神のご加護〜で臣民すべてに義務を果た〜す!のフレーズもとても好きです。

お話としての解釈はぐつぐつまだ煮詰めている途中なので、気になった方々について個々に感想を記します。


○春野さんシシィ
22マチネで2回目に観た際、1度目に観たときよりうつくしさ、輝きが増しているように見えてとてもびっくりしました。最後にルキーニに刺された直後、ドレスを脱ぎ捨て白い衣装で前に走り出てきた春野さんのシシィが、ほんとうにピュアな少女の頃のシシィに見えてはっとしたのがとても印象深いです。
私だけに、も「お言葉うれしく伺いました」も、歌い方や佇まいの凛とした雰囲気、気品がとてもすてきなシシィ。精神病院での「狂える勇気が」や、ルドルフ自殺後のふらふらと棺に歩み寄るところ等々、いろいろと書きとめたい箇所が多かったのにぼろぼろと抜けているので、また後日補足したいです。

○マテトート
好き!です!!
花嫁のヴェールのような白い薄布に巻かれた参列者とその元をしっかりと握る司祭の格好をしたトートに見守られる黄昏時の結婚式も、舞踏会の最中、人々が消えた大広間で、下手階段、扉の奥から姿を表すシーンも、革命家と決起するシーンの金髪を一つに緩く束ねた後ろ姿も、御者として見えない馬に鞭を振るうところの口かっぴらいたいい笑顔も、ドクトルゼーブルガーからの「待っていたぞ!」とベッドに勢いよく飛び乗る姿も、悪夢の指揮も。
意志を持って、シシィの魂をこの世からさらおうとしていることに違いはないのだけれど、この世に居場所がないと歌うルドルフとシシィが映し鏡であるのとは別の意味で、トートもシシィの心の奥底の望みに応じて映しだすものを変える鏡で、と考えたら、人間の心の奥に潜む弱さが現れ出でてくるほどに傲慢になってゆく、感情のうつし鏡なのかなあと(またSWANからたとえをお借りしています) 「まだ私を愛してはいない!」から見るに比例というより反比例?と思いますが、ではラストは?と思うと、もっときちんと考えなければいけないようです。うつくしくも恐ろしいのだけれど、時々いたずらっ子のようでもある。黄泉の帝王の立場なんて考えは彼の頭の中にあるのでしょうか?そもそも帝王なのか。自分がしたいからシシィに近づくしルドルフとも友達になっちゃうし時々人間に混じってみたり、全部自由気ままな感じ。
私が踊る時、でそろそろ俺に頼りたくなってきただろう?と自信ありげな顔で出てきたマテトートが、シシィに、私一人でもう大丈夫ですから、とすげなく跳ね除けられて、あきらかに苛立ちを抑えきれなくなってゆく、焦った表情への変化が、感情が露わでかわいかったです。

○岡田さんフランツ
エーヤン!エーヤン!フランツ!!!
我ら息絶えし〜でまずルドルフが3人いるように見えたことにびっくりしたのですが、あの真っ白な正装を着ている若フランツが出てきた時はプリンスチャーミング…!と震えました。背景にシンデレラ城見えたような気がしたし、あなたがいる、と春野さんシシィと岡田さんフランツが二人で手を取り合った瞬間、ふたりがお似合いでかわいすぎて心の中で「完!!」と叫びました。あのままお二人で永遠にくるくる手を繋いでまわっていればどれだけ幸せだっただろうにと思ったし、二人が外の世界に行けるよう背を押してあげたくなった。事前に友人からきいてはいたのですが、あなたがいるわ、とシシィに言われた瞬間のフランツの頬が、斜め後ろからで表情があまり見えなかったものの、うれしそうにくってあがっている感じはとてもよくわかりました。皇帝としての責務として皇后を愛すのではなく、ひとりの女性としてシシィを愛しすぎている感。全部シシィに捧げてしまいそうなところをぎりぎりで保っている感に加え、冒頭執務室での、許可する!の勢い込んだ、ややうわずった口調が皇帝としてはやや頼りないのかなと。そう思いながらも、自由を叫んで処刑される息子の、母親の望みを結局却下する場面では、ひととしての良心を疼かせつつも、結局ゾフィーの助言を見るからにそのまま聞き入れてしまいそう、しまったなあ…という感じが合っているような気もするし、結局は岡田さんフランツの佇まいがとても好きという話でした。彼に扉の前に立たれて「君の優しさで僕を包んでほしい」と言われたら、相当な覚悟で心を鬼にするか意志を強く持たないと開けないようにするのはむつかしいと思う。
22マチネはかなり前方の上手端のお席だったのですが、悪夢で、前髪がバサバサになった憔悴し切った顔の岡田さんフランツが、前に転がり出てひざを、手をとん!とついた瞬間、なんてこのひとはいとおしいんだろう!と思わず心の中で「ふらんつをいじめないで……!」と叫びました。 寒さに震えてずぶぬれになったシュナウザーかなにかがあまりにかわいくてかわいそうで、思わずうちへおいで、と手を差し伸べたくなる感じの。そういうお話ではないのも適切なたとえではないのもじゅうぶんわかっています…。でもたぶん彼の心を「やさしさで包める」のはシシィだけなんだよなあと思うと胸が詰まりました。夜のボートでの万感の思いをこめた「愛してる」がひどくしみるのと同じかそれ以上に。彼に応える春野さんシシィの「わかって」がメロディにのったものではなく、本当に語りかけるようなもの、台詞に聴こえたのは私の聞き間違いだったのでしょうか。
冒頭の必要以上に力の入った「許可する!」もそうですが、シシィへの愛情を隠さない様子の反動でか、他の場面では皇帝としての威厳を保つべく、一生懸命がんばってそう見えるよう努力しています、という心持ちが伝わってくるようで、特にルドルフや晩年のゾフィーへのきつい態度が際立つような気がしました。
岡田さんフランツ、もっと観たいです。

○禅さんフランツ
岡田さんフランツに対して、皇帝フランツとして思い描いてた想像通りだったのは禅さんフランツでした。禅さんはキャピュレット卿の時も思ったけれど、今回のフランツも目の前の子どもを、パートナーを愛するひとりの人間としてある前に、男としての、家長としての、皇帝としての自分を捨てられない、義務を果たさなければならない、というのが大前提としてあって、そこをわかってくれ、といつも思っている、そういう風に私には感じました。 そこがにじみ出るのが禅さんの演じる役が人間らしくて素敵だなと思う所以だし、嫌な意味でなく見てて時々つらくなるところなのかなとも。周囲に対してももちろん、自分に対しても厳しく、それこそ「冷静に、冷酷に、」皇帝たれ、と戒めている様子が伝わってくる。禅さんのフランツはゾフィーの息子であることがすっとわかるし、だからこそあの場所で、皇帝としてしか生きられない人だなと思います。シシィを皇后に選んでしまった時が、彼の人生で唯一「皇帝」としての道を逸れてしまった瞬間なのかなとも。
禅さんフランツの方がなまじ仕事ができそうで威厳があるだけ、皇后を愛するのも皇帝のつとめで、シシィ個人への気持ちがなかなか見えにくいのかしらと思っていたのですが、22ソワレは夜のボートではなく、悪夢での、ルキーニにナイフを渡そうとするトートにやめろ!とぼろぼろよれよれになりながら向かっていく姿に、彼なりの愛を注いでいたのかなとはっとしました。
初見の12マチネは、彼らが重ねた歳月がくっきりと見えるような夜のボートがとても印象深かったです。デュエットする二人の気持ちが通じ合っている歌ももちろん好きだけれど、お互いをある程度慮っていることには違いないのに、だからこそ分かち合えないと確信している二人の歌も好きで、だからこそ禅さんフランツと、春野さんシシィの夜のボート素敵だったなあと。

ハンガリーでエルマーに撃たれそうになった時に、身体を完全にシシィの方にむけて、抱きしめるように身を呈してシシィを守る、もうちょっと自分の立場も考えた方がいい岡田さんフランツと、音が聞こえた瞬間片手をばっとあげて、シシィに下がるよう促すような、皇帝として皇后を守る禅さんフランツ。すごく対照的で、どちらのフランツもすてきで、とても好きです。


ルドルフやそのほかの方々は次回ふれたいです。