TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

『ALTAR BOYZ』紹介その3


I believeだけなので短めですね!
例のごとくネタバレております。











12.I Believe(アイ・ビリーヴ)
さてさて最後の曲の紹介にきてしまいました。
讃美歌918番をもってしても浄化しきれないヘビー級の肥満の魂の正体とは?一向にその数字がゼロになる気配を見せないソウルセンサーに、再度曲のサビを繰り返そうとするボーイズらを制止するマシューの告白からそれは判明します。最後の4人とは、アルターボーイズら5人中4人のことだったのです。
ソニーミュージックからソロ契約の話がきてうっかりOKしてしまった、俺はチームのリーダーなのに。銀貨三十枚でイエスを裏切るユダのような男だ、と。マシューからはじまり、マークはエルトンジョンに「僕のルックスなら日本のアイドル路線も狙えるって、エルトン言ってたもん!」、フアンはバージンレコードに「バージン(ハートでもついてそうな甘えた声で)!道徳的でっしゃろ?」、ルークは契約したのをついさっき数秒前に思い出したと、皆の懺悔が続きます。アブラハムただひとりを除いて。

皆の告白途中で舞台左端のセットの段差にジャケットを脱いでベストだけになって腰掛けて、膝に腕をのせるほど背を丸めてただじっと話をきいているアブラハムの姿が、今思い返してもただ切ないです。「前金で数千万の提示」「ニール・ダイアモンドの原石とまで呼ばれ」たアブラハムは、ソロ契約の話がきていたのにそれを皆のように受けませんでした。恐らくアルターボーイズにいるより何倍もいい待遇で迎えられる条件だったはすなのに。以前アブラハムの紹介部分でも触れたように、彼がユダヤ人としてのアイコンの役目を担う役割を振られアルターボーイズに身を置き、そのキャラクターにあった動きをしなければならないなら、そうした旨い話にはこのメンバーの中では誰よりも先に食らいつく筈(わたしが「ユダヤ」をそう捉えているというのではなく、お話や舞台における典型的ユダヤ人を考えると、ということです)。どうしてそれをしなかったのか?

アブラハムは語ります。ずっと自分がこのアルターボーイズにいる意味を考え続けてきた、ユダヤ人がカソリックのバンドにいるだなんて、何かの冗談や間違いでなければありえませんからね、と。
「もうずっと確かなもののないまま、信じる力を試されている」という彼の台詞が突き刺さる。個々の長台詞がもううろ覚えなので、1月末からの再々演時できちんと覚えたい(と言える喜びよ!)。
信じる神が違う自分がなぜこのバンドのメンバーに入れられたのか、という悩みは常に彼に付き纏ったでしょう。突き詰めて考えれば、この舞台の核をも揺るがしかねない。ユダヤ人であること=ユダヤ教徒であることですから、彼が彼である限り、アルターボーイズにいるのはありえないこと。それなのにここに導かれてしまった。なぜ自分が信仰するのとは別の神の声がきこえてしまったのか。なぜその声にしたがってしまったのか。
そんな、ここに所属する限り解消しがたいを悩みを抱えて、それでも彼が他の誰よりもこのアルターボーイズに止まり続けたいと願った理由とは。

「ぼくらは一人一人違う人間だって知っているけれど!」みんな違ってもだいじょうぶなんだよ、と率先してあの歌を歌った彼が、「皆と違う」という事実に潜む断絶を再度ここで感じ、叫び声をあげたのだと思うと、今度は誰がアブラハムに声をかけてあげる番なの?とざわざわする気持ちを抑えきれません。その役目は「もっと、大切な、ほんとうの、」と言葉を詰まらせた彼を引き継ぐフアンの「…家族やからな」に委ねられます。これまでの「ALTAR BOYZ創世記」やソロ曲で彼の生い立ち、バックグラウンドを知らされている私たちには、フアンがこの台詞を口にするということの意味が十二分に理解できるはず。誰よりも「家族」の大切さをわかっているフアンちゃん。
はみだしっこたちが5人肩を寄せ合って(というにはあまりにも勇ましく)生きているうちに、彼らは仲間で、かけがえのない家族になってしまった。血のつながりがないなんて、生まれ育った場所も人種も違うだなんて、それが彼らを隔てるのに何の役に立つというのでしょう。

「信じることが全て」「願えばうまくいくって」
信じるって勝手に相手に期待してもたれかかる、というある意味恐ろしく身勝手な行為で言葉だと思っていたけれど、叶わなかったとき恨むべくは自分の弱さであって、本来いろいろな意味で強い人でないと成し遂げられないことだなとI believeを聴いていると思います。一瞬思うことじゃなくて持続する行為だから、終わりが見えないことが多いがゆえに。だからアブラハムは繊細ながらもとても芯の強い人なのだと思う。最初から疑いないのではなくて、迷いつつもそれでもこれだ、と自分の信じる道を決めて、困難だと知りながらも着実に一歩一歩進んでいこうとする諦めのなさ、そういう強さ。

黒い羊さんはうっかり仲間からはぐれたのではなくて、自らがはぐれて迷う危険性を十分知りつつも、仲間である4匹の迷える白い羊さんを探しにたくさんの毛の色が同じというだけで集う仲間のもとを離れてここまでやってきたのだと思います。

そして最後の最後に彼らが歌いあげるI believe in youの「you」とはだれなのか。別にこれはユダヤ教徒であったアブラハムが仲間たちのジーザスを信仰する姿に心打たれて改宗するお話ではないというのはご覧になった方だれしもがわかることなので、ゆえに「you」はイコールジーザスではない。彼のその前後の言動と、その歌詞を歌う時に誰の方向を向いているか。もう答えは一択なのですが。「信じてる君を」日本語だとわかりやすすぎるかも。
キリスト教を布教にやってきた神の使いの男の子たちのお話なのに、最後の最後での「believe」が「信仰する」にストレートに結びつかないというこのまったく一筋縄ではいかないさまといったら。「たとえ違ってもみんな仲間、家族」すらイエスの教えにのっとったものだとしても、そのイエスの命を受けて集まった彼らが、イエスの教えを信仰していないひとりのユダヤ人によって再び集い、救済されていることにかわりはないのですから。なんという大いなる皮肉! しかしそれすらイケてる神様の手のひらの出来事なのでしょうか。
どんな舞台でもそうであるように、解釈は、ご覧になった方全てに委ねられています。


この舞台を観て、そうしてより深く掘り下げて語りあえる方が増えることを強く願って!あいびりーぶ!





もう記憶だけに頼り続け、誤ったところをほじくりかえしている気がしなくもないので、反芻しつつももうすこしおとなしめに1月末の再々演を待ちたいなあと、そう思います。