TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

ロミオ&ジュリエット 10/2 東京千秋楽

東京千秋楽おめでとうございます。昨日はCD発売決定でお祝いをしていた気がする。
本編は後ほど触れるとして、いつも通りそつのない育ロミオや、たどたどしく微笑ましい昆ジュリエット、毎回のことながらいつすべるかひやひやものだったらちマキュ(笑いがとれていてよかった)、あなたがロミオじゃないのかと思わせるほど誠実さ溢れる浦井ベンヴォーリオ、レミの時からやはり変わらず自慢の声量もどこへやらのりおティボ等々、カテコ挨拶は本当に役者さんの個性豊かでおもしろいなあと思いました。とうとう声を発するのかと皆が期待と不安で胸をふくらませていた周さんは、禅さんに耳打ちして代わりに挨拶をお願いしご自分は一言も喋らないという、肩透かしでありつつもある意味皆の期待を外さない対処法だったと思います。公式ツイッターでも紹介されていましたが、大変贅沢な通訳様を通じて「早く人間になりたい」と仰っていました。

色々と賛否両論がありましょうが、確認作業ではなく、見どころの多さゆえに幾度通ってもその度に発見があるとても楽しい舞台だなと個人的には思います。来週末の梅芸までにまた色々と思い返して、役柄個別や場面場面での感想を綴っていけたらなと。


★マーキューシオについて
昨日は石井マキュ、本日東京楽ではらちマキュを観て、やはり両者は全く違った解釈のマーキューシオなのだと改めて思いました。
石井マキュについては昨日書きましたが、やはり彼のマーキューシオと比較して、らちマキュは至極健全で地に足がついているなと。 石井マキュと浦井ベンヴォーリオがモンタギューのリーダーと言われても、石井マキュはリーダーとは名ばかりで浦井ベンヴォーリオが彼を支えてあげている感があるのに対し、らちマキュと浦井ベンヴォーリオは全くの対等な関係、らちマキュの方がやや上位にいるような印象すら受けます。皆の兄貴で、ロミオの事も弟分のように思っている様子。不良は不良でも大きな犯罪には手を染めないし、下の人間がなにかやらかしたら自らが責任を被って前に立つような、器の大きさを感じます。マブの女王の前の、ロミオを誘う「冒険」という言葉が指す意味合いも二人の言い方で全く異なるものを連想させますし、決闘シーンの「昔から奴は俺を蔑み憎んでた」の言い方ひとつとっても違う。
石井マキュにとってロミオとベンヴォーリオが世界の総てで、他になにも大切なものがないとしたら、らちマキュは守るべきもの大切にしたいものは他にも沢山あって、けれどやはりその中でも優先順位が最も高い存在があの二人なのかなと。
前者が、完全に閉じて完結した箱庭のなかから、かけがえのない自分が大切にしているものが自らの意思で抜け出てしまうことへの怒りと悲しみからの「もう終わりだ」(街に噂が、より)であるなら、後者はいずれ自分達が大人になってそれぞれの大切なものを選び取っていくのも知っていて、けれどロミオが選んだそれが自分の予想の範疇外であったことに、そちらを選んではロミオ自身の末永い幸せは掴みとれないだろう、と友の愚行に憤っているがゆえの「畜生!」なのだと思いました。依存、自立、という対照的な言葉が、石井マキュとらちマキュを観ていると浮かびます。

親友を二人失った世界でベンヴォーリオは何を思って生きるのか。舞台ラストのシーンを観た限りは、きっとキャピュレットの娘と結婚して、ロミオとジュリエットの代わりに両家のかけ橋になるのではないのかなと想像しているのですが、彼にとってその人生がどれだけ幸せなものであったとしても、事あるごとに振り返ればかつて青春時代に歩んできた道があり、そこにはやはり黒々としたふた筋の影が消えることなく落ちているのであれば、彼の完全なる心の安寧は、天命を全うし友人らのもとにいくその日まで訪れることはないのだろうかとも思います。

役柄的なものもあるのかもしれないですが、単なる歌の上手さではなく、浦井くんの歌が本作でいちばん心にしみいるものかもしれないなと今更ながらに感じました。


マーキューシオが死んでからも死に顔を注視してしまってあまり観ることができていなかったのですが、本日マーキューシオが事切れてからのりおティボの動揺した演技をきちんと目にすることが出来てとてもよかったです。以前は、モンタギューのあいつを殺した俺は英雄だ!というように皆に囲まれていたように思うのですが、彼はいつからああいった演技に替えたのでしょうか。


・周さんの踊りを称える為にバレエ用語を再度勉強したい。有吉京子のSWANを読み返せばいいだろうか。