TROIS

観劇後に気合があったときだけ書きます

宝塚ロマン『はばたけ黄金の翼よ』

「面白い女だ」そう哄笑した男の謎を追って夜霧の十字路を抜けた我々がロドリーゴで目撃したのはーーーー「むかしむかし、乙女がおりました」(24年組




宝塚って未見の時に思っていたほど白馬の王子さまっぽいキラキラしたヒーローは出てこない世界だ、と気づいたのはいつのことだったのかもう覚えていません。漫画みたいな展開はあっても少女漫画みたいなコッテコテ王道展開が描かれている作品があまり思いつかない、というかあることにはあるけど望海さんに回ってこない。(今思えばパンジュ侯爵は見た目・中身ともに王子様だったかもしれない)

新聞売りの少年からのし上がったガラは悪いけど情に厚いギャングやマフィアのような役もとても似合うし大好きだけど、でも私は古典的少女漫画と少女小説(コバルト・ホワイトハート)で育ったくちなので、ドジさま(木原敏江)とか藤本ひとみ作品によくある主人公をからかってキーキー言わせる皮肉屋さんだけど本当は心優しい幼馴染とか、旅人に身をやつして婚約者の様子を伺いに来る領主さまとか、なんかそういうの、ギャングの合間にないの……?銀バラや花織高校や漫画家マリナはできないにしてもアンジェリクとか焼き直ししてもいいんじゃない……?と思っていたところだったので、演目発表の時には友人と手を取り合って喜びました。父を殺した冷徹非道な領主望海さんに望まず嫁ぐ跳ねっ返りのきいちゃん、二人が反目し合いながらもいつの間にか…?とか見たくないファンがいるのか。

 

心配したことといえば、かつらどうなるんだろう、楽しみと言いつつ古典的少女漫画のマッチョさをすでに受け付けない身体になっていたらどうしようの2本立てだったのですが、一つ目は完全に杞憂でした。よく考えたらカリオストロの時もあれくらいのボリュームがあったし、今回のヴィットリオの右こめかみ側を後ろに流して片耳を出す、うっかりすると色っぽいおねえさんみたいなヘアセット(?)とても好き。はちまわりの毛をふくらませ過ぎないのが秘訣か。アラドーロをたたえる総踊りソングでの額飾りもめちゃめちゃお似合いです。

二つ目については男側の高圧的な振る舞いにどうこうというよりも、腕を折るメンフィスやばすぎでは!?みたいなあの時代の漫画独特の登場人物の言動のぶっ放しぶりに度肝を抜かれていた。愛を求めて鳴く犬ねッ!俺の感情を駆け引きの道具にするなッ!

 

テンポが良いというより全場面伏線、権謀術数のための起承転結の転の分量がめちゃくちゃ多い印象。事件事件に継ぐ事件。人間をコマにして、誰かが誰かを想う気持ちを利用しているから、陰謀がうまくいくにはその気持ちが必要不可欠という意味で、陰謀と主役二人の関係の盛り上がりが比例して描かれているのはわかる。しかし寝室での「面白い女だ」以降、誰もかれもがヴィットリオはクラリーチェが好き!と決めてかかって行動を開始するので、ヴィットリオからかう→クラリーチェきーっ!もそれはそれで楽しいけど、ふとした時に見せる弱さも女心を誘惑するには必要ってエヴァ琥珀色の雨にぬれて)が言ってたよ?とヴィットリオ(というか小柳先生?)の肩を揺さぶりたくなったりもする。作中では背負った過去による屈折等を全く見せない無敵の帝王様として描かれているように見えるんですが「3年前の父の仇をとったぞ!」とかそのあたりを突っつけば何か省略したエピソードがこぼれてきそう。

影として控えている盗み聞きが仕事のファルコが、先走り感は否めないとはいえヴィットリオ本人すら無自覚の気持ちの萌芽に勘をはたらかせたのはまあわからなくもないし、ロドミアも二人の様子を目の当たりにしていたからまだわかるけど、世継ぎの剣を渡したことしか知らないジャンヌの行動は若干思い込みが激しすぎるのでは? いや思い込みが激しいことはあの少女漫画の世界で生きるための必要スキルかもしれない、とも思うけど……ものすごく変だから変えて欲しいというよりも、ヴィットリオとクラリーチェが心を通わせる根拠となるような場面がもうワンシーンくらいあると私がうれしいというだけで、そこは脳内補完を楽しむところかもしれない。

歌の中で二人の気持ちが盛り上がっていくタイプの物語でもなく、中盤の盛り上がりに合わせた心情を客席に訴えかける歌は主役二人でなくファルコがさらっているので、終演後やたらと口ずさみたくなるのは「ヴィットリオのために〜♪」の方になってしまって困る。

しかしなんだかんだ言いつつ、あまりにも見知った少女漫画の世界が予定調和で展開されていくので、面白すぎて終始にやつきが堪えられなかったのも本当です。THE古典少女漫画のコスチュームものの目の楽しさよ!

 

「よく笑う女だ」はドン・ジュアンであったけど、あの時は膝抱えていたし自分を恐れない女に動揺していたし、余裕が失われていたのでノーカンです。ここにきて望海さんの口から天下の宝刀「面白い女だ」が聞けるとは!「お前の命は俺のものだ」!

でもすでに千回ぐらい同様の役をやったのではと思うほど帝王が板についてませんでした? 偉そうな役のレパートリーは色々あるし、ショーでオラオラしている姿はいつも見ているからお芝居では違う色を見せたい、過去の影を背負って舞台上に出てきた時にはすでに挫折感にあふれている役が似合うだろう(?)などの理由から、生まれた時からデーンとしていそうな人間を演じさせたのではもったいないと思われていたのかな?

実際「面白い女だ」発言×野心溢れる北イタリアの小国の主とか、もはや古きゆかしき少女漫画界の生ける化石。面白いのはお前だと誰もが指差したくなる(?)ヴィットリオ、いままで望海さんが演じた中でいちばん息をするように男らしさを味方にして人生を謳歌している役では? 肩幅バーンで胸板もめちゃくちゃ厚そう(タオル製)。そもそも古典少女漫画の様式美としたって、ここまで屈折してないキャラクタってそんなにないのでは? だからといってほがらかというわけでもないのだけど、圧倒的にネアカには違いない。人を愛することのなんたるかを知った後も、心情の変化による心の揺れを大げさには表に見せない、鞭に打たれても愛によって自由を得たことを口にして笑う男のふてぶてしさ底なし。一貫して堂々たる様子に、人間ってきっかけがあったとしてもそこまでがらりと変わらないものなのかも、と思えばある意味現実味があるのか(?)

現実味がたとえあったとしても、もう少し心の揺らぎを表に出す方がキャラクタとしての面白みが増すだろうから、最近の宝塚作品ではここまでデンとした存在はお見かけしないと思う。

でも逆に絶対こんなやついないだろという心の距離があるからこそ、このやばい男にどっぷり浸からずに済んでいる、一命をとりとめた感がある。鞭で打たれたり、目をえぐられたり、誰かに加害されている時のうめき声のリアリティに手に汗握りながらも、痛みに反応しているだけで恐怖を感じている様子があまり見えないのは、どんな目にあっても自分の存在価値が貶められることはないんだなと知っている、絶対王者のそれっぽい。視覚的な痛々しさはあるのに、かわいそうとはそこまで思わなかったのも納得。自分の知力体力精神力の強靭さを信じている。む、むかつく〜〜〜〜〜〜そりゃジュリオ兄さまも思わず鞭をメッタメタにふるいますわ……「あの女、ビアンカといったか」の一連のセリフが完全に鞭を振るう側のそれ、ジュリオの方が拘束されているせいで悪役から聴きたくない話を聞かされてしまう立場にしか思えない。かわいそうだからワインをお持ちしたい。ひとこちゃんの衣装の着こなしぶりすごい。

 

散々やじを飛ばしてしまったけど、きいちゃんに対して基本優位で高慢ちきなのに時々「帰ったら俺が髪を切りなおしてやろう」(謎の萌えが詰まっている)(じっとしていないとどうなっても知らんぞ、とか言いつつ意外と上手な展開ある)みたいな優しさ(??)を見せるヴィットリオを演じるのぞみさんがみられて結構わくわくしています。友人が萌え転がっていた「なんだ…男の子か」もやばい。拘束された手が使えなくても気持ちがクラリーチェの頬にそえられてるのか?くらいに声が優しい。いや実は弱っていただけかもしれない。こんなやついるわけねーだろ的なおもしろさと萌えとやばさがぐるんぐるん渦を巻いて心の中が嵐だった。

 

人を食ったような振る舞いも妙にかっこよく見えてしまうのは、望海さんが演じているという大前提なしにはあり得ないのか、それが宝塚の男役の魅力であり恐ろしさなのか。

たとえ物語の中の人物であっても、「面白い女だ」的な発言をする人物が物語の中で最後まで格好よさを貫くには、かなり困難な時代を迎えている今、もっと女性と対等に向き合って対話ができる男性が多様に魅力的に描かれていく中で、それでもバリエーションの一つとしてこういったキャラクタを面白く受け入れてしまうのってなんでなんでしょう? 

今回、この物語を面白く観劇できたのは、古典少女漫画を愛好する人間の目こぼしというのではなくて、最後の最後でクラリーチェとヴィットリオの間に短いながらも対話(?)があったからだと思います。男役が無理矢理迫る姿は、男役の振る舞いとしてある程度は格好良く見えてもやっぱり限度があると思う。そのギリギリのラインを探りつつ、最後できちっと「命令されたら愛せない」とヒロインに言わせて選ぶ側と選ばれる側を反転させる場面があったことに、観ていてとても安心感を抱きました。常套句だとはしても、身体は奪えても心までは奪えないと突き放したクラリーチェからの愛の告白かつ最後通牒は、このタイプのヒーロー像に対しての真正面からのカウンターとして成り立つと思うし、これがわからない人とクラリーチェが結ばれるわけがない、という伏線を最後までなあなあにしていない。望海さんが演じていても、いくらビジュアルが格好良くても、「あいつらより俺のほうがお前をよく知っている!」(もえではあるが)とか言われても、最後まで押せ押せなキャラクタだったらちょっと厳しかったかもしれない。

そこまでの深みがある話ではないと知りつつ、最後に愛を真正面から告白して歌うヴィットリオ演じる望海さんの声の豊かさにこんなの籠絡されるほかないじゃんずるい!とふるえながら、愛とは解き放つことよ、の星から降る金@M!のことを思い出していました。

 

しかしラストのヴィットリオの改心(?)は、面白い女と言いつつ初めは侮っていたであろうクラリーチェが、あのセリフを突きつけてもおかしくない存在として、彼に認めさせ、心を溶かすだけの活躍ぶりをここまでに見せつけていたからで、そんなクラリーチェを演じたきいちゃんの少女漫画ヒロイン力があったからこそ、この作品が成り立ったのだと思います。

はっはっはと高笑いする男のそばには彼の仕打ちにプンプン怒る女の子がいてほしい。やり込められているようで、大事なところで彼をうまくやり込めてほしい。年老いたマントヒヒ!みにくいブタ!=ミスター・リッチマン&ミスター・女の子ぎらいだと理解しているけどいいですか。クッション投げつけ=ちまき大きく振りかぶり(食聖のアイリーン)ですよね。

剣の稽古の途中で、あっ!と明後日の方向を指差す仕草も可愛い。髪をざっくり切って男の子に変装するのもあまりにもてっぱんで身悶えるし、その前にヴィットリオの言葉が天からの声のごとく降ってくるのもヒロインだけに許される展開…!とにやにやしてしまう。

思ったことをすぐ口に出すひまわりのような女タイプのきいちゃんクラリーチェが着ている服が、最後の服まで全部が全部可愛くて、今まで他の舞台で見た服が可愛くないわけじゃないけど、こんな衣装今までどこに隠していた!?時代で選べる服のバリエーション×演出家の指定の問題か…(9月頭までやっていた作品のことを思い出してしまった)と喜びと悲しみに膝をつきました。


クラリーチェもさることながら、ヴィットリオの心変わりには彼女も一役買っているのでは?と思うくらい、ひらめちゃん演じるロドミアも物語にぐいぐいい込んでくる役どころで好きです。愛を求めて鳴く犬ねッ!(くせになっている)そうさ、あんたの姉さんのロドミアだよ!(くせになってる)

 

あーさのファルコは、おれは影、あいつは光…みたいな過去シーンが一切ないのが惜しいながらも、幼なじみだったのに主人公の敵対する側にまわる2番手ポジションって、ある意味主人公よりおいしいのではと思いました。「許して〜くれよ、ジャンヌ♪」の歌い方をついついまねして口ずさんでしまうのは、独りよがりな感じを膝で小突きたくなるおもしろさも手伝っている。全ツおなじみ幕前芝居のためと知りつつ、横座りで崩れ落ちているジャンヌと、彼女に背を向けてたたずむファルコとの間に幕がずんずん降りてゆく歌へのつなぎ、BGMの威勢の良さも手伝ってなぜか胸が熱くなります(ジャジャンジャージャンジャ!!)クラリーチェへ借りを返した去り際の「お前がその剣の持ち主としてふさわしいかどうか、どこにいても心がけておこう」みたいな台詞もにくい。ネックレスが簡単に引きちぎれるのも、そんな安物あるいは劣化したわっか(?)を形見にして大丈夫か?!と突っ込みつつ、漫画あるある展開で視覚的に興奮する。

家柄としては家臣(?)だけど幼なじみゆえの対等さがあるからなのか、内にこもったネクラさゆえか、ヴィットリオを信奉している様子に、あのサンジュストくんで見せたほどのわかりやすい熱狂ぶりはないように見えて(いやめっちゃ歌ってはいるのだけど)ヴィットリオに想われているクラリーチェへの嫉妬心のようなものがもっと見えたら、架空の三角関係を見出してもっと盛り上がっていたのかもしれません(私が)。しかしそこを深めるにはやはりクラリーチェをさらうまでの展開が急すぎるから仕方ないのか。

新刊のせいで十二国記一気読み返しをしてしまったので、出てきた瞬間のビジュアルとジャンヌへの朴念仁ぶりに、あーさの景麒、あるのでは…?!という妄想にとりつかれました。ヴィットリオの治める国、10年で滅ぶか500年パターンか見守りたい。

 

ひとこちゃんのジュリオは、あんなに見た目にうるわしいやさしげなお兄さまなのに、妹を敵国に送るわ婚約者を敵国の主の寝所に忍び込ませるわ(後者はヴィットリオにもつっこみたい)苦悩しながらの決断に見せつつグリエルモ伯爵の言いなりぶりが見事だった。ヴィットリオが動じないのでジュリオの人間ぽさが際立ってちょっとかわいそうに思ったりもする場面(牢屋)もあるけど、もうちょっと自分の判断力を?!とも思ったりもする。ビアンカとの絵面がケーキの上に乗っているお人形さん同士みたいにかわいい。しかし何をしても「おやさしい」「おかわいそう」と合いの手を打ってくれるわ、敵の寝所にも忍び込んで泣いていたとはいえ、父を討たれてもその仇と一緒になるビアンカ、この時代の女の鑑なのか??女性4人の中で一番しわ寄せがきているポジションな気が……ひどい目に合うのは基本描かれていないところなので、彼女の微笑みに何かを見出したくなって目を凝らしてしまう。といいつつ皆が立ち去った後の「ジュリオさま…!」「ビアンカ…!」(ひしっ)のお約束の光景が一枚の絵のようにうるわしかったので、2人の関係は様式美として脳内処理しました。

 

 

全国ツアー後半も、まだ観劇予定があるので楽しみです!!